ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (11)

  • しばらくネットを離れ、文章修行に明け暮れていて思ったこと - シロクマの屑籠

    ここ3ヶ月ほど、オフラインで文章作成する案件が立て込んで、インターネットが一日30分程度の毎日が続いた。くだらない揉め事、言及するほど損する議論、誰かを批判する時だけ七色の光を放つアカウント……そうした、非建設的なネット興行を全部脇に置いて、インプットとアウトプットに励む3ヶ月は、有意義ではあっても、脳内のドーパミン分泌量がちょっと足りない、そんな気がした。 6月を迎え、久しぶりにインターネット繋ぎっぱなし状態にしてみると、ディスプレイにはインターネットの懲りない面々の姿がうつり、脳細胞が歓声をあげた。これだ!id:p_shirokumaの育ったふるさとの風!そしてはてなブックマークの阿鼻叫喚!嫁さんが別アカウントでブックマークした記事を流し読み、twitterのリストで過去ログを三日分ほど遡る。今日もインターネットは平和だった。なるほど。「こうした牧歌的光景が繰り広げられているのも、アベ

    しばらくネットを離れ、文章修行に明け暮れていて思ったこと - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2013/06/02
    なるほど、やっぱりインプットとアウトプットのバランスをどこかでとらないいけないのかなぁ。
  • スマートフォンやタブレットばかり使っていると頭が悪くなるんじゃないか - シロクマの屑籠

    「いいね!」に慣らされて俺はバカになってしまいそうだ - シロクマの屑籠 ついでに、スマートフォンやタブレットばかり使っていると頭が悪くなるかもしれない問題――言い換えると“日頃使っているインターフェースに思考が影響を受ける問題”――についてまとめておく。 スマホやタブレットは、出先で大まかな情報収集をするには便利で、そのモバイル性は捨てがたい。けれども、これらをインターネットのメインの手段にし続けていると、インプットとアウトプットの質感はかなり劣化してしまうと思うし、ひいては、ユーザー個人の思考の水準もかなり低下するんじゃないかと私は危惧せずにいられない。モバイル端末に頼るのは、できるだけモバイルな状況だけに絞ったほうがいいと思う。 まず、モバイル端末は格的な文字入力には適していない。ガラケーなんかに比べればずっと速く、ずっとたくさんの文字を入力できるけれども、キーボードに比べれば長文

    スマートフォンやタブレットばかり使っていると頭が悪くなるんじゃないか - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2013/05/14
    カジュアルな時にモバイルデバイスを、フォーマルな時にコンピュータをと分けて使うのが大半だけど、とっさにやるならデバイスが便利だったりするのね。今はコンピュータとの同期も取れるようになったし。
  • 「いいね!」に慣らされて俺はバカになってしまいそうだ - シロクマの屑籠

    Facebookの「いいね!」やtwitterの「リツイート」「お気に入り*1」に慣れ親しんでいるうちに、自分の頭で考えるのを面倒くさがるようになった気がする。 Facebook上でなにか面白い文章・考えさせられる文章を見かけた時、私は「いいね!」をクリックする。twitterでも「リツイート」や「お気に入り」もよく使う。それ自体は、インターネットではごくありふれたことだ。 けれども、この「いいね!」がときどき自分の思考を妨げている、と感じることがある。いや、「いいね!」ボタンが思考を直接妨害しているわけではない。けれども時折、「「いいね!」を押しておけばいいや」というか、そこで考えるのをやめてしまうことがある。眼に留まった文章について、深く考えるのを端折ってしまう。 twitterでも、「リツイート」「お気に入り」をクリックしただけで文章を咀嚼完了したような気分になって、考えるのをやめて

    「いいね!」に慣らされて俺はバカになってしまいそうだ - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2013/05/13
    微妙な反応もイエスになってしまわざるを得ないSNSでのアクションについて。レビューとは違って細やかな評価がしにくいのが難点。新しいシステムが出ない限り難しいかも。
  • 自称クズ=理想と現実のギャップに苦しんでいる人 - シロクマの屑籠

    http://anond.hatelabo.jp/20130306163244 リンク先は、就職活動中の大学生が書いた長文だ。文中、「自分はクズ」「人間失格」といった文字がちりばめられ、「どうやったらスティーブジョブズになれるんだよ!」とも書かれている。リンク先の書き手が、精神的にどれぐらい余裕が無いのか・万が一にもメンタルヘルスに問題を呈しているのかは、文章だけでは判断できないので、触れないでおく。 それより、私や友人達の間で「クズ」という言葉が流行っていた年頃を懐かしく思い出してしまい、“自称クズ問題”について書きたくなってきたので、書き記しておくことにする。 「クズ君」の思い出 大学生だった頃の私は、自分のことをクズだと思っていた。学業は低空飛行で、世間から後ろ指を指されるような趣味に耽り、コミュニケーションにも自信が無い。さりとて“一般的な”クラスメートや親族の前で「自分はクズです

    自称クズ=理想と現実のギャップに苦しんでいる人 - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2013/03/08
    じっくり読みました。いいエントリをありがとうございます。理想と現実のギャップに苦しんでいる人は必読です。
  • 「インターネットではチャンネル争いが起こらない」 - シロクマの屑籠

    テレビを一人で観るようになったのはいつ頃からだったろうか。 昭和30年代の写真を探すと、町角で大勢の人がテレビを見ている風景を見かける。この頃のテレビは、かなりの確率で“みんなで観る”ものだった。一家に一台テレビが普及した後も、テレビはやはり皆で見るものだった。一家に一台しかないテレビだからこそ、“巨人、大鵬、卵焼き”という言葉や“チャンネル争い”という言葉が存在していたのだろう。 視聴番組を巡るコンフリクトがあった = 皆が自分の見たい番組だけ観ていたわけではないということでもある。大人が子ども向けアニメを観ざるを得ない時もあっただろうし、ニュースや時代劇を子どもが観ることもあっただろう。家族という小さな器のなかとはいえ、テレビは一人で観るものではなく、自分が観たいものを観たいだけ観れるものではなかった。 ところが昭和の終わりになると、ひとつの家庭がテレビやビデオデッキを複数保有する、そ

    「インターネットではチャンネル争いが起こらない」 - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2013/02/27
    テレビがマスからパーソナルに変わってからの事とインターネットの個人利用での事。
  • 自由を削ってブログを書くか、自由になるためにブログを書くか - シロクマの屑籠

    http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/02/13/233709 http://anond.hatelabo.jp/20130209201645 ブログが主人か?それとも“なかのひと”が主人か? 私は“なかのひと”こそが主人であって、ブログは“なかのひと”に仕えるものだと思っている。だからブログのキャラが一人歩きして“なかのひと”が疎外されるような事態は避けてきたし、書きたいことが書けるインターネットが続けられるよう、意識しながらブログを書き続けてきたつもりでもある*1。 もちろん、世の中には「飯をうために」敢えてブログやキャラを一人歩きさせる人もいるだろうし、そういうプロを非難する資格は私には無い。それでも私自身は、「お前はこういうキャラなんだからこういう風に振舞え・振舞えないなら俺が許さない」的な、キャラ優位な人間観が嫌いなの

    自由を削ってブログを書くか、自由になるためにブログを書くか - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2013/02/14
    ありのままの自分を表現する手段としてブログを書く。それがいいのかも。
  • 「自己愛が腹ペコの人は、判断力が低下する」問題 - シロクマの屑籠

    自己愛の充たされ具合と、判断力について。 人間って、腹が減ってもすぐには死にません。空腹は辛いものですが、健康な人が一抜いた程度なら大丈夫でしょう。しかし空腹がずっと続けば衰弱しますし、いつか餓死してしまいます。 人間の自己愛も、これに似ていると思います。人間の心は――少なくとも概ね健常な状態にある人間の心は――ちょっとやそっと自己愛が充たされなくなっても、すぐには潰れてしまわないものです。でも、ずっと自己愛が充たされない状態が続いていると、だんだん心が衰弱していって、メンタルヘルスを損ねやすくなってきます。尤も、自己愛が腹ペコ状態になっただけでメンタルヘルスを損ねるところまでいってしまう人は稀でしょう。身体的疲労やストレスが重なった時に、自己愛が腹ペコ状態なのかそうでないのかが問われ、その人の命運が左右されるんじゃないかと思います。 ここまでは拙著『ロスジェネ心理学』でも書いた話。

    「自己愛が腹ペコの人は、判断力が低下する」問題 - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2013/01/21
    自己愛についての話。難しいなぁ。
  • 「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠

    先日の記事の補足として。 今、思春期の後半と言われている20代後半〜35歳ぐらいの年齢には、思春期という言葉と表裏一体だったはずの、モラトリアム*1という言葉があまり似合わない、と思う。それぐらいの年齢になっても進路や生き筋を自由選択できる幸運とタフネスを持った人もいないことはないが、あくまで幸運だったりタフだったりする比較的少数の人達である。大半の人達においては、三十路を迎えた頃というのは、色々な事がかなりのところまで決まっている or 決まりつつある最終段階に相当する。決まりつつある、という意味ではぎりぎりモラトリアムとも言えなくもないが、夏休みに喩えるなら、八月三十日や八月三十一日を夏休みと呼ぶのと同じようなものではある。 実際には、三十路を迎えた大半の人は、自分の人生のかなりの部分を既に選んでしまっている。まだ会社は変えられるし、恋愛経験のある人なら結婚相手を選べる可能性もある。し

    「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2012/12/29
    非常に興味深い。
  • 「バグったっていいじゃないか、人間だもの」 - シロクマの屑籠

    人間は、特定の状況や話題で「バグ」る。 給湯室談義では「○○さんには××の話題は禁句」といったフレーズがしばしば用いられる。実際、××の話題を持ちかけた時に○○さんが誤作動を起こしたりフリーズしたりしたのが確認されているのだろう。人間は誰しも、そういう「話題にしただけでバグる」ようなセキュリティホールを一つや二つぐらいは持っている。 精神科臨床で遭遇するレベルの「バグ」 精神医療をやっていると、人間のバグのなかでも一番シビアで訂正不能なものに出会う。妄想だ。 妄想は、統合失調症や妄想性障害の代表的な症状のひとつだ*1が、統合失調症や妄想性障害のすべての患者さんが、いつでも妄想全開で会話にならないかというと、そうでもない。むしろ、よほど病気が燃え上がっている時を除けば、コミュニケーションにさほど問題が生じていない人のほうが多いぐらいである。 ところがそういう人も、特定の話題になると急激に思考

    「バグったっていいじゃないか、人間だもの」 - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2012/11/04
    人には誰にでもエラーがある事を覚えておこう。
  • 『ロスジェネ心理学――生きづらいこの時代をひも解く』を出版します - シロクマの屑籠

    シロクマは“私達の世代”を軸にしたを出すことになりました。 ロスジェネ心理学―生きづらいこの時代をひも解く 作者: 熊代亨出版社/メーカー: 花伝社発売日: 2012/10メディア: 単行購入: 6人 クリック: 197回この商品を含むブログ (25件) を見る 定価:1575円 ページ数:253頁 判型:46判並製、単行ソフトカバー ※表表紙はこんな感じ ちょっと俗っぽいタイトルかもしれませんが、実際、1970年代〜80年代前半に育った世代――つまりロストジェネレーション世代に――フォーカスをあてたになっています。ただし、ちょっと昔の“ロスジェネ論壇”のような、世代内での内輪受けと自己憐憫に溺れるようなを出したところで意味が無いので、「ロスジェネ世代のメンタリティについて、上の世代や下の世代にも分かるよう解説してみる」「ロスジェネ世代の生育環境を振り返りながら、現代社会の精神病

    『ロスジェネ心理学――生きづらいこの時代をひも解く』を出版します - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2012/10/20
    この本は読んでみたい。どうして生きづらくなったのかが知りたい。
  • 私が不登校から精神科医になるまで - シロクマの屑籠

    今でこそ私は、精神科医という、他人の社会適応やメンタルヘルスを気にする仕事に就いているが、かつては自分自身の社会適応やメンタルヘルスにこそ問題があり、学校生活から落伍していた。いや、当は今でも自分自身の社会適応に問題はあるだろうし、だからこそ人間の社会適応を学び、実践することに拘っているのだろう。 1.私はもともと古い地域社会の出身で、そのコミュニティのなかでは概ね上手くやっていた。私は我の強い、そのくせコミュニケーションの機敏に疎い子どもだったと思う。しかし地域の年長者達はそんな私の取り扱い方をよく心得ていて、私のほうも彼らを慕っていたので、コミュニケーションに困ったことはあまり無かったと思う。私は小学校に行くのを楽しみにしているような子どもだった。 しかし幸せは長く続かなかった。中学校に入り、地域社会の外側の生徒にまみえるようになると、私は年長者の保護を失った。“よく知らない同級生と

    私が不登校から精神科医になるまで - シロクマの屑籠
    masamune61
    masamune61 2012/10/20
    精神科医が自分のこれまでについて書いた記事。「社会への適応」を研究のテーマにしていく、という言葉で締められ、是非研究の成果をこの目で見たいと思った。
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