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  • 新しい日本銀行券特設サイト|肖像の人物紹介ページ

    東京出身。日の女子教育家。女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者。 幕末の農学者で、江戸幕府の外国奉行支配通弁(通訳官)を務めていた津田仙、初子夫の次女。1871年、6歳の時に日最初の女子留学生として岩倉遣外使節団と共に渡米。ワシントン近郊のジョージタウンに住むランマン夫の元に約11年間滞在し、17歳で帰国。華族女学校教授に就任します。 女性の地位を高めるために自分自身の学校を作りたいと願う梅子は再度留学を決意。1889年、再渡米し、ブリンマー大学で生物学を専攻。その際に執筆した論文が英国の学術雑誌に掲載されたため、「欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日人女性」と言われています。1892年に帰国。華族女学校、女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)で教鞭を執った後、1900年、女子英学塾を創設。生涯を通じて、女性の地位向上と女子高等教育に尽力しました。 この肖像の年代は、女子英

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