サッカーJリーグ創設の立役者である元Jリーグ専務理事の木之本興三(きのもと・こうぞう)さんが15日、うっ血性心不全で死去した。68歳だった。葬儀は近親者のみで営む。 県立千葉高から東京教育大(現筑波大)に進み、主将として1971年の全日本大学選手権で優勝。72年に古河電工(現J2千葉の前身)入りして活躍したが、4年目の75年に腎臓の病気を発症し、現役を断念した。83年に日本サッカーリーグ事務局入り。人工透析を受けながら仕事を続け、川淵三郎・現日本協会最高顧問らと共にサッカーのプロ化に尽力した。91年のJリーグ設立と同時にJリーグ常務理事に就任し、98年に専務理事。2002年ワールドカップ日韓大会に向けた日本協会の強化推進本部副本部長を務め、日本代表の躍進につなげた。03年に健康上の理由でJリーグ専務理事を辞職した。