映画「最も危険な遊戯」や、ドラマ、映画「あぶない刑事」シリーズなどを手掛けた映画、テレビの製作プロダクション、セントラル・アーツの黒沢満(くろさわ・みつる)取締役社長が11月30日午前10時47分、東京都八王子市の自宅で、肺炎のため亡くなった。85歳。通夜・告別式は未定。 黒沢さんは早大卒業後、55年に日活入社。3年後に大阪の梅田日活の支配人に抜てきされるなど才能を見せた。日活関西支社宣伝課長をへて、70年、俳優部次長として製作の現場に出た。 71年に日活がロマンポルノ路線へと転換して以降、企画製作の中核として多くのロマンポルノ作品をプロデュースした。撮影所長などを務めた後、77年に日活を退社。同年、東映が新たに立ち上げた東映セントラルフィルム(のちにセントラル・アーツ)のトップに就任した。 第1弾作品で、松田優作さん主演映画「最も危険な-」が話題になり、その後も「北のカナリアたち」「終わ
1979年(昭54)のテレビアニメ「サイボーグ009」の主題歌「誰がために」で知られる、歌手の成田賢さんが13日、肺炎のために亡くなった。73歳だった。公式ツイッターが発表した。 「成田賢は本日、午前7時過ぎに肺炎の為亡くなりました。生前、故人の作品を愛して下さった方々、ライブに脚をお運び頂いた方々に深い感謝の意を故人に代わって申し上げます。尚、葬式一切は身内のみで行う予定ですので、今は故人の残した作品や動画で故人を偲んで頂ければ幸いです。アシスタントより」 成田さんは旧満州の大連市生まれで、1967年にグループ・サウンズ「ザ・ビーバーズ」のボーカル&ハーモニカ担当としてデビューした。「誰がために」のほか、80年にテレビ朝日系特撮「電子戦隊デンジマン」の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」がヒットも、1981年(昭56)に1度、歌手を引退。2007年にアニメジャパンフェスティバルで、26年ぶり
舞台、映画、ドラマなどで幅広く活躍した女優角替和枝(つのがえ・かずえ)さん(本名柄本和枝=えもと・かずえ)が、がんのため27日早朝に都内の自宅で亡くなったことが同日、分かった。64歳。静岡県生まれ。つかこうへい事務所を経て、劇団東京乾電池に所属。 夫柄本明(69)長男柄本佑(31)次男柄本時生(29)、佑の妻安藤サクラ(32)もそれぞれ俳優として活躍する芸能一家。通夜、葬儀は、本人と家族の希望で密葬で営まれる。 関係者によると、角替さんは27日午前5時ごろ、柄本、佑らに見守られて息を引き取った。時生は海外で仕事中のため、最期をみとることはできなかったという。角替さんは、約1年間の闘病生活を続けていた。 NHK連続テレビ小説「ハイカラさん」(1982年)「おひさま」(2011年)「花子とアン」(2014年)など数多くのドラマに出演。個性豊かな演技力で、愛嬌(あいきょう)ある存在感を放ち人気を
1991年のアニメ映画「機動戦士ガンダムF91」の主役シーブック・アノー役などで知られる声優、ナレーターの辻谷耕史(つじたに・こうじ、本名やすふみ)さんが17日、脳梗塞のため都内で亡くなったことが23日、分かった。56歳だった。 複数の関係者によると、辻谷さんは14日に都内で声優の立木文彦と組んだバンド「立木文彦とBLUSEED」結成記念ライブを行うなど元気だったが、17日に自宅で突然倒れ、そのまま同日に急逝したという。葬儀は妻で声優の渡辺久美子ら親族と近親者のみの密葬で行われ、21日に通夜、22日に葬儀・告別式が営まれたという。 辻谷さんは1962年(昭37)4月26日に東京・小平市で生まれ、我孫子高から舞台芸術学院に進み、83年に劇団東演に入団。我孫子高の同級生には、元阪神タイガースの和田豊氏がいた。俳優業を続ける中、1988年(昭63)にアニメの声優を始め、89年「ガンダム0080」
フジテレビ系で放送されているアニメ「サザエさん」(日曜午後6時30分)で磯野フネ役の声を、1969年の放送開始から2015年まで46年間務めた声優の麻生美代子さんが8月25日、老衰のため死去していたことが3日、分かった。92歳。東京都出身。 サザエさん役の加藤みどりさんは、フジテレビを通じて以下のようにコメントした。 「放送が始まった時は私が一番年下だったのですが、それからずっと、何かあればいつも麻生さんに相談できて、頼りになる先輩でした。現場でもムードメーカー的存在なので、『サザエさん』の中でも外でも麻生さんがいれば安心してやってこられました。趣味人でもありいろんなことに前向きな方で、80歳になられても声が出るし、滑舌も良く、先輩として皆の目標になっていました。なので、私の中では同じ形で麻生さんが生きているような感じがして、懐かしい思いがします。どこにいても、麻生さんは麻生さんです」
フィギュアスケート男子で14年ソチオリンピック(五輪)銅メダルのデニス・テンさん(25)が19日、強盗に襲われて刺殺された。カザフスタンの国際ニュース通信社「カズインフォルム」をはじめ、複数メディアが報じた。 「カズインフォルム」は、カザフスタンの保健・社会開発省関係者が一部の報道を認めたと報じた。広報のイエナル・アキムクロフ氏は「不幸なことに、彼は我々とともには、もういられません」と声明を発表した。同氏は、テンが死亡したことについて会見を開くと明らかにしたという。 テンさんは16年3月30日、フィギュアスケート世界選手権の公式練習中に、同大会で2年連続の銀メダルを獲得した羽生結弦(ANA)の曲をかけた練習中にリンク中央でスピンを続け、羽生とぶつかりかけた。 その場で羽生は「それはねえだろ、お前」と激怒。羽生はその後「彼自身苦しさもあっただろうし、もちろん僕にもあった。この試合で和解したい
新日本プロレスと全日本プロレスで活躍し、IWGPヘビー級王座、3冠ヘビー級王座両方を外国人として唯一、獲得した米国人レスラーのビッグバン・ベイダーさん(本名・レオン・ホワイト)が、18日午後7時28分(現地時間)、米国で亡くなった。ベイダーさんの公式ツイッターが発表した。63歳だった。公式ツイッターによると、ベイダーさんは1カ月前に重症の肺炎にかかり、懸命に闘病を続け、一時は回復に向かったものの、亡くなったという。 ベイダーさんはコロラド大でアメリカンフットボールの選手として活躍し、卒業後の1978年(昭53)にNFLロサンゼルス・ラムズに入団も、ケガで引退を余儀なくされた。その後、バーン・ガニアにスカウトされて、85年に米AWAでプロレスデビュー。その後、マサ斉藤にスカウトされ、87年12月にビックバン・ベイダーの名で新日本プロレスのマットに上がり、アントニオ猪木らと名勝負を繰り広げ、8
「ミスター麻雀」の異名を取ったプロ雀士で、かわぐちかいじの漫画「はっぽうやぶれ」をはじめ多くの麻雀作品でモデルにもなった日本プロ麻雀連盟初代会長・最高顧問の小島武夫さんが心不全により亡くなったことがわかった。連盟が30日、公式ツイッターで伝えた。82歳だった。 連盟は「日本プロ麻雀連盟最高顧問(初代会長)故 小島武夫 儀 入院療養中でしたが心不全により去る平成30年5月28日(享年82歳)にて永眠いたしました。ここに生前のご厚誼を深謝し謹んで通知申上げます。追って通夜ならびに告別式は、日本プロ麻雀連盟葬にて執り行います」と伝えた。 通夜は6月8日午後6時~7時、告別式は6月9日午前9時30分~11時、東京・品川区の桐ヶ谷斎場で営まれる。「当日は一般ファンの方のご参列も受け付けます。沢山の方に先生をお見送りしていただければ幸いですが、あまりにも多くの方がいらっしゃった場合、時間内にご焼香など
静岡朝日テレビ夕方情報番組「とびっきり!しずおか」のメインキャスター、大沼啓延(おおぬま・ひろのぶ)さんが9日午前1時14分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。68歳だった。同局によると、大沼さんは4月28日から体調を崩し、都内の病院に入院。その後、肺炎を起こしたという。番組出演は同27日が最後だった。 大沼さんは静岡市葵区に生まれ、静岡市立高を経て明治大を卒業。74年にティ・ビー・エス映画社(現TBSビジョン)に入社し、数々の番組制作を手がけてきた。ディレクターでありながら、テレビ出演。スポーツキャスター、情報番組のキャスターとして活躍した。 90年に独立し、番組制作会社「大沼企画」を設立。97~99年にテレビ朝日系「スーパーモーニング」のキャスターを務め、04年10月から「とびっきり!しずおか」のメインキャスターを担当していた。 美声の持ち主としても知られ、07年には「夢語る街静岡」
俳優夏木陽介さんが14日午前10時46分、腎細胞がんのため、都内の病院で死去した。81歳だった。19日未明、友人の作家で東北芸術工科大学教授の山川健一氏が、夏木さんの公式ブログで公表した。葬儀・告別式は親族だけで行う予定。 所属事務所によると、昨年10月に肺炎で入院した。すぐに回復したが、同11月末にリハビリのためストレッチなどをしていた時に体に力が入らなくなり、床に崩れ落ちた。病院で精密検査を受けた結果、胸椎のがんと判明し、そのまま入院した。 入院中は食事も普通にとることができ、見舞客には冗談を飛ばして会話をするなど元気な様子だった。キャンセルした仕事を気に掛け、「元気になって、早く仕事をしなければね」と話していた。年内にも退院できる見込みもあったが、同12月27日、突然意識を失い、集中治療室に入った。その後も意識が回復することはなく、今年1月14日に弟ら親族にみとられて息を引き取った。
アダム・ウェスト氏(米ドラマ「バットマン」主演俳優)9日、米ロサンゼルスで死去、88歳。白血病を患っていた。米芸能誌などが報じた。 28年9月、西部ワシントン州生まれ。66~68年のテレビドラマシリーズ「バットマン」で主演し人気を博す。バットマンのイメージが定着し過ぎて出演依頼が来ない時期もあったという。
歌手ペギー葉山さんが12日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。83歳。 1952年(昭27)11月キングレコードから「ドミノ/火の接吻」でデビュー。代表曲には「学生時代」「ドレミの歌」「南国土佐を後にして」などがあり、これまでに約2000曲を発表している。 1995年(平7)に春の叙勲紫綬褒章、2004年(平16)に春の叙勲旭日小褒章を授章している。趣味の書道では、1981年(昭56)に独立書道展で入選、1984年(昭59)には書道界で最も権威がある毎日書道展にも入選している。
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