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  • 坂口芳貞さん死去80歳 M・フリーマン吹き替えも - おくやみ : 日刊スポーツ

    モーガン・フリーマンの吹き替えなどでも知られる俳優で文学座付属演劇研究所所長の坂口芳貞(さかぐち・よしさだ)さんが13日午前10時9分、大腸がんのため亡くなった。80歳だった。告別式は18日午前11時半から東京都新宿区信濃町の文学座アトリエで営まれる。喪主は長男の坂口芳輝(よしてる)さん。 坂口さんは4年前に大腸がんと診断され、俳優業のかたわら治療を受けていた。昨年12月から体調を崩し、療養中だった。1963年に文学座研究所に入所。65年に初舞台を踏み、67年に座員になった。NHK大河ドラマ「葵・徳川三代」「軍師官兵衛」などに出演する一方、米俳優モーガン・フリーマンの吹き替えも行い、「セブン」「ショーシャンクの空に」などを担当した。昨年10月に上演された「棲家」が最後の舞台出演で、同じ10月に収録したフリーマン役の映画「ポイズンロール」の声優が最後の仕事となった。

    坂口芳貞さん死去80歳 M・フリーマン吹き替えも - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 今宮純さん死去 F1解説で実況古舘と絶妙コンビ - モータースポーツ : 日刊スポーツ

    F1解説などで知られたモータージャーナリスト今宮純氏が4日、死去した。70歳だった。4日に心臓発作で倒れたという。葬儀は近親者で営んだ。 70年代からモータースポーツ誌のライターとして活躍し、フジテレビがF1全戦の中継を始めた87年から解説者を務めた。実況の古舘伊知郎アナとの息のあったコンビは絶妙で、豊富な知識と優しい語り口で人気となった。

    今宮純さん死去 F1解説で実況古舘と絶妙コンビ - モータースポーツ : 日刊スポーツ
  • 女優の木内みどりさんが死去 急性心臓死 69歳 - おくやみ : 日刊スポーツ

    女優の木内みどりさんが18日、急死した。木内さんの公式ツイッターが21日、発表した。死因は急性心臓死で、既に家族葬を執り行ったという。 「木内みどりが、2019年11月18日、急性心臓死により永眠いたしました。生前の人の希望通り通常の通夜・告別式は行わず、家族のみでお別れをいたしましたことをご報告いたします。これまで応援してくださいました皆様、またお世話になりました皆様へ謹んで御礼を申し上げます。」 木内さんは亡くなる2日前の16日、ツイッターで広島の録音スタジオで、映画監督で俳優の塚晋也氏と収録を行ったと報告。その後、広島市内を散歩した写真もアップしていた。翌17日も午後4時12分に広島の原爆ドームの写真をアップし「散歩中」とつづっていた。 木内さんは劇団四季を経て女優デビュー。1971年(昭46)の映画「『されどわれらが日々-」』より別れの詩」でデビュー。18年のNHK大河ドラマ「

    女優の木内みどりさんが死去 急性心臓死 69歳 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 元代表GK田口光久氏が死去 バラエティーでも活躍 - 日本代表 : 日刊スポーツ

    田口光久氏(たぐち・みつひさ=サッカー日本代表GK)12日午前3時2分、呼吸不全のため東京都内の病院で死去、64歳。秋田市出身。葬儀・告別式は18日午後1時から東京都新宿区上落合3の4の12、最勝寺会館で。喪主は長男直樹(なおき)氏。 ゴールキーパーで秋田商高から三菱重工(現J1浦和)入りし、日本代表では国際Aマッチ59試合に出場。引退後はテレビのバラエティー番組などでも活躍した。

    元代表GK田口光久氏が死去 バラエティーでも活躍 - 日本代表 : 日刊スポーツ
  • 中山仁さん死去「サインはV」鬼コーチ 77歳がん - おくやみ : 日刊スポーツ

    1969年(昭44)に放送されたドラマ「サインはV」にコーチ役で出演した俳優中山仁さん(名・中山仁平)が10月12日に肺腺がんで死去していたことが11日、所属事務所から発表された。77歳だった。 同事務所はファクスで「故人の遺志で葬儀、お別れ会はせず、逝去したことも公表せずに、とのことでしたが、ご家族と相談の上、1カ月経ちました日、御報告をさせていただきます」と発表。「永きにわたり御支援頂きましたことに心より感謝申し上げます」としている。 中山さんは早大政経学部を中退後、文学座養成所に入り、劇団「NLT」を経て、三島由紀夫氏らと浪漫劇場を設立。フジテレビ系ドラマ「乱れる」でデビューし、「サインはV」の鬼コーチ役をはじめ、多くのドラマや映画、舞台で活躍した。

    中山仁さん死去「サインはV」鬼コーチ 77歳がん - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 八千草薫さんに倉本聡さん「NO・1の俳優だった」 - 舞台雑話 - 芸能コラム : 日刊スポーツ

    女優八千草薫さんが亡くなった。88歳だった。昨年も8、9月に舞台「黄昏」に主演し、がん公表した今年2月以降にも、テレビ朝日系ドラマ「やすらぎの刻(とき)~道」の収録に参加した。 今年春から入退院を繰り返していたが、八千草さんのもとには映画出演の依頼が2あったという。1は断ったが、もう1つは旧知の監督からのオファーで、病床で台を読んでいたという。しかし、八千草さんが亡くなり、映画がどうなるかは未定。最後の出演作「やすらぎの刻(とき)~道」の脚を書いた倉聡さんは「八千草さんは演技力を含めて、NO・1の俳優だった。もういないと思うと、脚を書く気がしなくなりますね」と吐露しているが、映画を企画した監督も、八千草さんの出演を想定していただけに、映画が制作されるかは微妙のようです。 1957年に谷口千吉監督と結婚し、以来、監督が07年に91歳で亡くなるまで50年間連れ添った。子供がなかった

    八千草薫さんに倉本聡さん「NO・1の俳優だった」 - 舞台雑話 - 芸能コラム : 日刊スポーツ
  • 山谷初男さん死去、85歳「やすらぎの郷」など出演 - おくやみ : 日刊スポーツ

    個性派俳優として活躍した山谷初男(やまや・はつお、名山谷八男)さんが10月31日に、間質性肺炎のため秋田市内の病院で亡くなった。85歳だった。葬儀は近親者で行ったという。 高校卒業後に秋田から上京し、1953年に舞台デビュー。その後、寺山修司さんの天井桟敷や蜷川幸雄さん演出の舞台に出演する一方、NHK大河ドラマ「国盗り物語」やNHK連続テレビ小説「いちばん星」などに出演。秋田弁の素朴な役柄や人のいい中年男や老人を数多く演じ、独特の存在感で人気があった。 最近もテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの郷」にも出演。94年に故郷角館町に実家の旅館を改築して劇場「はっぽん館」を建設し、ライブ活動も行っていた。

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  • 熊殺しウィリー・ウィリアムスさん死去 67歳 - バトル : 日刊スポーツ

    80年にアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦で激突した米国人空手家のウィリー・ウィリアムスさんが死去していたことが分かった。67歳だった。 9日にオランダの格闘技メディアが報じたもので、死因は不明。76年の極真空手を題材とした映画「地上最強の空手Part2」で巨大な熊との対戦を披露し「熊殺し」の異名を取った。 米ノースカロライナ州コネティカット出身のウィリアムスさんは身長196センチ、体重100キロの恵まれた体格を生かし、79年に出場した世界空手選手権で3位。80年には東京・蔵前国技館で猪木と対戦し、両者リングから落ち、ドクターストップによるノーコンテスト決着となっていた。92年11月にはリングスにも参戦し、前田日明と対戦して敗退。94年10月に1度現役を引退していたが、97年の猪木引退前には特別ルールで再戦していた。

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  • ほら吹き漫才の横山たかしさん死去、やすしさん弟子 - おくやみ : 日刊スポーツ

    金ピカ衣装で「おぼっちゃま」キャラを貫き、赤いハンカチをかみ「すまんのぉ~」。ほら吹き漫才の第一人者、漫才師横山たかし(名・山高孝=やまたか・たかし)さんが1日午前3時51分、多臓器不全のため、大阪市内の病院で亡くなっていたことが2日、分かった。70歳だった。昭和の上方演芸界を代表した漫才師、故横山やすしさんの弟子。 所属事務所によると、今年4月ごろに受けた検査の結果が芳しくなく、そのまま入院。体調が戻ることなく、亡くなったという。親族にみとられて、息を引き取った。 通夜は1日に、葬儀はこの日午前、たかしさん人の強い意向で、すでに密葬として終えられた。事務所は「お別れ会を後日、営み集うべく検討している」とコメントし、場所は大阪市内で予定している。 たかしさんは昨年1月、腸腰筋膿瘍(ちょうようきんのうよう)の手術を受け、療養した後に、同5月の興行で車いすながら、舞台復帰していた。復帰後も

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  • チューバッカ死すハン・ソロ「相棒であり人生の友」 - ハリウッド : 日刊スポーツ

    米人気映画「スター・ウォーズ」シリーズで38年間にわたってチューバッカを演じてきた俳優ピーター・メイヒューさんが4月30日、テキサス州の自宅で家族に囲まれて亡くなったことを遺族が2日、ツイッターで発表した。74歳だった。死因は明らかにされていないが、昨年7月に背骨の手術を受けていたという。 メイヒューさんは演技経験がなかったものの2メートルを超える身長が決めてとなり、「ただ立っていればいい」とジョージ・ルーカス監督に言われて1977年に公開された「スター・ウォーズ エピソード4/新たな希望」でハリソン・フォード演じるハン・ソロの相棒役に抜てきされて以来、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」(15年)まで7作品に出演してきた。「私たちは30年以上にわたって映画の中の相棒であり、人生の友でもありました。ピーターは魂をキャラクターに吹き込み、ファンに大きな喜びをもたらせてくれました。私と何百万人

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  • 小出義雄氏が死去、80歳 高橋尚子さんら育てる - 陸上 : 日刊スポーツ

    陸上の女子長距離の名指導者で、五輪金メダリストの高橋尚子さんらを育てた小出義雄(こいで・よしお)さんが24日、千葉県内の病院で死去した。80歳。千葉県出身。 千葉・山武農高(現大網高)を出て一度は家業を継ぐなど働いた後、順天堂大に進んで箱根駅伝に3度出場した。千葉県の佐倉高、市立船橋高などで教員を23年間務め、1988年に実業団のリクルートの監督に就任。マラソンで92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダルを獲得した有森裕子さんらを育てた。 高橋さんらと共に積水化学に移籍した97年は世界選手権で鈴木博美さんを世界一に導き、2000年シドニー五輪で高橋さんが陸上の日女子で初の金メダルを手にした。 選手を褒めて伸ばす指導と明るく豪快なキャラクターで知られ、高橋さんとの二人三脚は大きな注目を浴びた。01年に佐倉アスリート倶楽部を設立し、02年12月に積水化学を退社。04年に創部したユニ

    小出義雄氏が死去、80歳 高橋尚子さんら育てる - 陸上 : 日刊スポーツ
  • 漫画家の高寺彰彦さん死去 3月廃業「サヨウナラ」 - おくやみ : 日刊スポーツ

    今年3月に闘病のため廃業していた漫画家の高寺彰彦さんが、亡くなったことがわかった。多くのファンや関係者が追悼した。 漫画家の山貴嗣氏は24日、「ああ。高寺彰彦先生のご遺族の方からメールをいただいた。誤報じゃなかった」とツイート。「言葉も無い。高寺先生、素敵な作品をいっぱいありがとうございました。感謝と敬意をこめて、合掌」「寂しいよ高寺さん」と哀悼した。 故・手塚治虫さんの長女で手塚プロダクション取締役の手塚るみ子さんは「高寺彰彦先生のご冥福をお祈り致します。生前のTwitterを拝見するにさぞかし無念だったことでしょう・・・」と悼み、現代美術家の会田誠氏は「合掌。昔『コミッカーズ』という月刊誌でお互い連載を持っていて、『マンガ絵』について軽い論争をしてしまいました。頑固というか…信念の人でした」と人柄をしのんだ。 高寺さんは3月12日、自身のツイッターで「先月の28日、自分の脊髄の中に血

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  • 声優白石冬美さん死去 82歳「巨人の星」星明子役 - おくやみ : 日刊スポーツ

    アニメ「巨人の星」の星飛雄馬の姉明子や、深夜放送の草分けTBSラジオ「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティーなどで知られる声優白石冬美(しらいし・ふゆみ)さんが虚血性心不全で亡くなったことが29日、分かった。82歳だった。 白石さんは東京・世田谷区内で1人暮らしをしていたが、連絡が取れないことを不審に思った親族が28日に訪ねたところ、意識不明の状態で倒れていたという。その後、死亡が確認された。葬儀・告別式は、親族のみでとり行われるという。 「声優」というジャンルがない60年代からCMやアニメで声の活動を始めた。1967年(昭42)年、「パック-」の放送がスタート。10年に亡くなったナッチャンこと野沢那智さん(享年72)とのコンビで金曜パーソナリティーに抜てきされ、チャコの愛称で呼ばれ人気になった。「チッチャイ子」だから「チャコ」と呼ばれるようになったという。 ◆白石冬美(しらいし・

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  • 元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲の第60代横綱で、現役横綱双羽黒のまま廃業し、プロレスラーに転身した北尾光司さんが、2月10日に慢性腎不全で亡くなっていたことが29日、分かった。55歳だった。87年12月にトラブルで立浪部屋を飛び出し、その後は冒険家、タレント、格闘家へと転身。98年に格闘家も引退した。波乱に満ちた人生が幕を閉じた。 ◇    ◇    ◇ 北尾さんは立浪部屋から1979年(昭54)3月の春場所で初土俵を踏み、86年(昭61)1月の初場所から大関、同年9月の秋場所から横綱に昇進。横綱として8場所務めた後、87年12月にトラブルで部屋を飛び出し、その後、師匠から当時の「廃業届」が提出された。1909年(明42)に優勝制度が導入されて以降、唯一、優勝経験のない横綱となった。これをきっかけに、横綱昇進は慎重な見方をされるようになり、大関として連続優勝、またはそれに準ずる成績が求められることになった。 相撲

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  • 萩原健一さん死去68歳 GIST患うも公表せず - おくやみ : 日刊スポーツ

    俳優萩原健一(はぎわら・けんいち)さん(名・萩原敬三)が26日午前10時30分に都内の病院で亡くなったことが28日、分かった。 所属事務所によると、萩原さんは11年から、GIST(消化管間質腫瘍)を患っており、闘病してきたという。容体が急変し、帰らぬ人になった。故人の強い遺志で、病気は公表してこなかったという。 葬儀は、家族葬として営まれ、27日に荼毘(だび)にふされたという。 萩原さんは、今月18日に、内田裕也さんが亡くなった際に所属事務所を通じて「非常に残念です。近々、企画書をもって裕也さんと共演することを楽しみにしていましたが、奥様のご不幸があり、タイミングを逃しました。心よりご冥福をお祈りします」とコメントを発表していた。 さらに、11年に結婚したモデルの冨田リカが24日に更新したブログでも、冨田とともにバランスボールに乗るなどジムに通う様子が伝えられていた。 ◆萩原健一(はぎわ

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  • 横浜、ロッテ元監督の近藤昭仁氏が死去 80歳  - プロ野球 : 日刊スポーツ

    元大洋(現DeNA)選手で、横浜ベイスターズの初代監督、のちロッテでも指揮を執った近藤昭仁氏が27日午前1時23分、敗血症性ショックのため神奈川県内の病院で死去した。80歳だった。数年前にパーキンソン病と診断され、自宅などで闘病生活を送っていた。先月、誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。最後は家族にみとられ、眠るように逝った。 プロ入り1年目の1960年(昭35)の日シリーズでMVPに輝いた。巧打、好守の内野手として鳴らし、現役引退後は指導者として活躍。巨人、西武などでヘッドコーチを務めた一方、監督としては両リーグで最下位を経験した。 ◆近藤昭仁(こんどう・あきひと)1938年(昭13)4月1日、香川県生まれ。高松一高、早大を経て60年大洋入団。同年は新人ながら1番に定着し、大洋の初優勝に貢献。日シリーズでも2度の決勝打を打ってMVP獲得。74年現役引退し、74年から大洋、ヤクルト、西武、巨人

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  • ビッグ・ウェンズデーやエアーウルフの米俳優死す - ハリウッド : 日刊スポーツ

    1980年代に人気を博した米俳優ジャン・マイケル・ビンセントさんが2月10日、74歳で死去したことがわかった。米ピープル誌電子版などによると、ビンセントさんはノースカロライナ州の病院で、治療中に心臓発作で息を引き取ったという。 検死解剖は行われず、埋葬されたと報じられているが、ビンセントさんの死について、家族はまだコメントを発表していない。 ビンセントさんが心臓発作を起こした原因は不明だが、生前、薬物やアルコール依存症の問題を抱えていたことはよく知られている。2012年には、感染症により右脚を切断することを余儀なくされ、死にひんしたこともあった。 1960年代に映画デビューしたビンセントさんは、1978年のサーフィン映画「ビッグ・ウェンズデー」主役の1人マット役でブレイク。約30年間にわたり、数多くのテレビドラマや映画で活躍した。 1984年に米CBSテレビで放送開始されたヒットシリーズ「

    ビッグ・ウェンズデーやエアーウルフの米俳優死す - ハリウッド : 日刊スポーツ
    mash1966
    mash1966 2019/03/09
    ジャン=マイケル・ヴィンセント。
  • デストロイヤーさん死去、88歳 子ども妻に囲まれ - プロレス : 日刊スポーツ

    力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られる伝説の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤー(名リチャード・ベイヤー)さんが7日(日時間8日)、亡くなった。享年88歳。同日に複数の米メディアが報じた。元プロレスラーの息子カート・ベイヤー氏が自身のフェイスブックで報告したもので「父のデストロイヤー、ドクターXことディック・ベイヤーが今日正午すぎに亡くなりました。自宅で子どもたち、に囲まれながら平穏に去っていきました」などとつづった。デストロイヤーさんはここ数週間、病院のケアを受けていたという。 米バファロー出身のデストロイヤーさんは1954年に素顔でデビューしていたが、62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。63年には日プロレスに初来日し、力道山と対戦した。特に同年5月2

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  • 「雨に唄えば」米映画監督S・ドーネン氏が死去 - おくやみ : 日刊スポーツ

    スタンリー・ドーネン氏(米映画監督、振付師)21日、心不全のため東部ニューヨークで死去、94歳。米メディアが23日報じた。 24年、南部サウスカロライナ州生まれ。10代でタップダンスのレッスンを受け、ニューヨークのブロードウェーで認められ映画界に。「踊る大紐育」で監督デビュー。「雨に唄えば」「掠奪された七人の花嫁」「くたばれ!ヤンキース」などの傑作ミュージカル映画を手掛け「ハリウッドミュージカルの王様」と呼ばれた。 オードリー・ヘプバーンさん主演の「パリの恋人」「シャレード」「いつも2人で」などでも監督を務め、卓越した業績を残した映画人に贈られるアカデミー名誉賞を98年に受賞した。

    「雨に唄えば」米映画監督S・ドーネン氏が死去 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • 作家橋本治さん死去70歳「桃尻語訳 枕草子」など - 社会 : 日刊スポーツ