ブックマーク / white-cake.hatenadiary.com (3)

  • 実践的愛され研究その3 - wHite_caKe

    「愛」と「好意」と「恋愛」を混同してるのが、「愛され研究」でなくて「好かれ研究」になってる原因だと思う。 キモメンが無償の好意を示す→女もキモメンに好意を抱く→キモメン、調子に乗って愛の告白→女、ドン引き。以上、電波男にいう池鶴関係の解説でした。要は好意と恋愛感情の間には高い壁があるのではないかってことで 「“慈愛”ではなく“恋愛”がしたい……!」と声高らかに主張しておこう。 などというブクマコメントを貰いました。なるほどそうか、そうですか。 えーと、私は脳天気というか何というか、景色が綺麗でメシが美味くて、友人と過ごす時間がたのしければ、「今自分は世界に愛されている」とか実感して満たされるめでたい人間なので、「愛されている」とだけ思いたければ、男女の愛、もっと言うなら性愛を使う必要ないじゃん、と思ってしまっているところがあります。何人かのひとのささやかな好意があれば、それで「愛」は感じら

    実践的愛され研究その3 - wHite_caKe
  • 実践的愛され研究その1 - wHite_caKe

    とか言いつつ、研究というほどのものではないんですが。 あと最初に言っておきますが、これからここに書くことは、大学で習った心理学の知識(しかも忘れかけ)と、周囲の人間の経験などをつなぎ合わせて何となく思った内容であって、私自身は恋愛経験がトシのわりには貧弱であるため、多少は机上の空論的だろうなあとは思いますよ。 では題。 ピアノ・ファイア−非モテ非モテと言うけれど 「愛に見返りを求めてはならない」 「愛は求めるものではなくて、与えたり、感じ取ったりするもの」 という世間知を真摯に受け止めるだけで、どうでも良くなる問題ですよね、と。モテないってこと自体は。 という記事を読み、その後その記事についているコメントやブクマコメントに目を通してふと思ったことを書いてみます。 世間知が世間知として認識されるに至るには、実はそれなりの根拠があるんじゃないってことで。 私は幼い頃『ペリーヌ物語』というアニ

    実践的愛され研究その1 - wHite_caKe
  • 愚者の決断、愚者の前進 - wHite_caKe

    夫のセキゼキさん(仮名)に以前、こんなことを言われました。 「シロイって決断力があるのに判断力がない、珍しいタイプだよな。フツー判断力がない人間は失敗を繰り返すとどんどん自信を失って、決断自体できなくなっていくもんなんだぜ。それだけ判断ミス繰り返してるのに『えいやっ』と思い切って決断できちゃうの?」 とっさに反論しようとして私が思いとどまったのには、理由があります。 私が以前務めていた職場では「シロイさんの傘占い」というイベントがありました。 降水確率が30~50%くらいの朝に出勤しますと、皆が殺到して 「シロイさん、傘持ってきました?」 と、私の傘の有無を確認するのです。 「はい、天気予報で降るかもという話だったので」 あるいは 「いえ、今日は大丈夫そうかなと思って」 などと答える私。 するとみんながその答えを聞いてなぜか一喜一憂します。 「よかったー、シロイさんが傘持ってきたってことは

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