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2018年10月17日のブックマーク (3件)

  • 1990年代の日本のロックアンセム(1991年から2001年の15曲)そして1996年について - in between days

    少し前に、80年代の日のロックについて書いた。それはおそらく少年(ティーンエイジャー)の時代だったのじゃないか。そして、ロックも大人になって、90年代がやってきた。だから90年代の日のロックについて考えてみようとおもう。 街じゅうのガキどもが「ロック」を知った80年代 ─ 日のロックのロールモデルになった10組 - in between days 90年代以降の日のロックには、二面性がある。と思う。ひとつはメジャーシーンへの浸透。80年代末のバンドブームを経て、ロックバンドは普通の存在になった。テレビ音楽番組に出ることも珍しくなくなり、その代わりにチャートミュージックにも違和感なく、ロック的なサウンドやファッションが取り入れられていった。 一方で、ロックはオルタナティブな音楽であるというスタンスもある。売れる音楽をよしとしない、インディペントである矜持。大人になんかわってたまるも

    1990年代の日本のロックアンセム(1991年から2001年の15曲)そして1996年について - in between days
    matarillo
    matarillo 2018/10/17
    スピッツ入るならイエローモンキーも入れてあげたら。JAMも96年だし。/スーパーカー、トライセラ、グレイプバインあたりは90年代末デビュー。トライセラとバインはアンセムにはちょっと弱いか。
  • 「女性を性的に扱うこと」を巡る議論はなぜいつも平行線になってしまうのか|福田フクスケ@編集&ライター

    おっぱい募金にしろ、のうりんポスターにしろ、「女性を性的に扱うコンテンツ」に関する議論が噛み合わずいつも平行線になってしまうのは、「今この国で性的な表象(特に女性の)をどう扱うか」という問題の難しさ、その質を浮き彫りにしているなあと思う。 というのも、まず大前提として「女性の体を客体として消費すること(A)」それ自体は、来ならいいことでも悪いことでもないニュートラルな事象にすぎないと俺は思うのです。特に、その体の持ち主である人の主体性と自己決定に基づいていれば、誰が文句を言う筋合いもない。 別にこれは女性に限らず、男体も女体も、どんなジェンダーであっても、来は「これエロいなー」「これ萌えるよねー」と、お互い自由に消費し合っていいはずなのです(もちろん、実際に搾取や侵害といった被害の及ばない限りにおいて。ここでは「消費」と「搾取」は区別するという立場に立ちます)。 ただ問題は、現在の

    「女性を性的に扱うこと」を巡る議論はなぜいつも平行線になってしまうのか|福田フクスケ@編集&ライター
    matarillo
    matarillo 2018/10/17
  • 性欲についてフェミに語らないお前らキモオタや男共は卑怯だ

    こんにちは。 今日のテーマは「キズナアイ」。動画サイト「youtube」で架空のキャラながら動画作成、公開を続ける「バーチャルyou tuber」として人気を博しております。そのキズナアイが先日、NHKの特設Webサイト「まるわかりノーベル賞2018」に登場。物理学や化学など各分野の有識者から説明を受ける聞き手を務めたそうな。そのノーベル賞解説にNHKがキズナアイを起用したことについてフェミニズム的立場の有識者が批判。女性の性的搾取や女性を性的対象としてみなす社会への反論に対してオタク共が噛みついたことで発生した、いわゆる「キズナアイ騒動」は、今もツイッターでは激しく是非を問われて意見や罵詈雑言が飛び交っています。 キズナアイ騒動の発端のおさらい キズナアイ騒動バッシングの背後にある音 女性はモノを売り、人目を引くためのツールである プロの考える女性イラストの区別 衆目を集めるのが目的の

    性欲についてフェミに語らないお前らキモオタや男共は卑怯だ
    matarillo
    matarillo 2018/10/17
    傾向としてかわいい顔(十代の少女のような)+女性らしさが強調された体躯(たとえば巨乳)の組み合わせなのはなぜなのか、後者が控えめでも女性に支持されるか、など、みんなもっとまじめに考察すべきと思う。