人や作品が商品として消費されるとき、そこには抗い、傷つく存在がある。 2021すばるクリティーク賞を受賞し、「新たなフェミニティの批評の萌芽」と評された新鋭・西村紗知が、共犯者としての批評のあり方を明らかにしつつ、愛のある批評を模索する。 第4回は、西村の本領である音楽批評。「丸サ進行」を取り入れた楽曲群が体現する、音楽にとっての自由について。 1.はじめに 近頃、音楽を聞くときほど自分の身体が邪魔になることはない。自分の身体が邪魔になるとは、自分自身に蓄積されている古い聴取経験が当てにならないという意味である。最新の邦楽曲を追うことをサボって、ぼーっとしている間にもうすっかり状況は変わってしまった。人間、メディアに対する最適化をサボるともう一度追い付くのはたいへん苦労のかかることだ。筆者はもうテレビを見ないから、テレビに組み込まれている手法や文法が今現在どうなっているのかわからなくなって
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