昭和31(1956)年2月10日の「電通社報」は、木原の一周忌の写真入り記事を載せている。 「盡きぬ想い出 故木原氏一周忌追悼会 *多くの人達に、その才を心から惜しまれて逝った故木原通雄氏の一周忌にあたる二月三日夕五時半より西別館二階応接室で追悼会が開かれた。*故人の先輩や同僚であった社内幹部をはじめ,薫陶を受けた後進の社員たち、およそ五十余人。とくに社外からただ一人の出席者である信越放送の野沢社長から、“私は前夜九時ごろまで木原さんと築地の蘭亭で語り合い、帰り道、『どうです…もう一軒』と誘われたが、とうとうそのままお別れしてしまった。…おそらく仕事の上では私が最後にお目にかかったわけだから感慨もひとしおです…”との挨拶があったが、それぞれつきぬ思い出に語り合った夜だった。」 写真は、木原氏の写真が飾られ花が供えられた壇を沈痛な表情の社員たちが囲んでいる。寂しい中にも親密な感情が流れている
![電通電波ビジネス黎明期の牽引者 木原通雄(19) | ウェブ電通報](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/44b43751872a1effbf89d01413582d9bd039a5dd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fdentsu-ho.com%2Fog1200_630.png)