私の親は団塊の世代で、その下には新人類が存在する。また、私よりも下にはゆとり世代がいる。にもかかわらず、私たちの世代に名称が着いていないのは寂しいと思う人は結構いるようである。 朝日新聞は我々に「ロストジェネレーション」という名前をつけた。私たちは何をロストしたというのだろう。動詞のみで目的語をつけないのは日本人の悪い癖である。オシムの「考えて走るサッカー」という目的語なしのフレーズをもてはやすことくらい(朝日新聞は)何も考えていないように思える。 団塊の世代というのはよいネーミングだ。団塊の世代の親たちがたくさん子供を産んだのだ。新人類というのも、当時の大人たちが新入社員たちをどのような目で見ていたのかがよく分かる。ゆとり世代も、その年代に大人たちが何を与えたのかがよく分かる。要するに、世代のネーミングというのは、大人たちからの視線が感じられなければならない。世代の主語は当人たちではなく