降誕祭(12/25)から公現祭(1/6)の十二日間にわたって多くの教会で行われていた「驢馬祭」あるいは「愚人祭」は、世俗的、涜聖的な要素も受け入れる中世の教会の大らかな側面を典型的なかたちで示す宗教儀礼である。これらの祝祭で執り行われていた儀式では、例えば貧民たちの象徴だったロバを讃えるミサを行う、幼児たちの司教として聖歌隊の子供を選出するなど、社会的役割が転倒する《逆さまの世界》が常に提示された。日常の秩序をひっくり返す無礼講の祭であったにもかかわらず、これらの祭の出発点が教会のなかにあったことには注意する必要がある。「驢馬祭」は、世俗の一般信徒たちによる教会的秩序への異議申し立てではなく、助祭や副助祭、あるいはもっと身分の低い聖職者たちによって、彼ら自身のために執り行われた祝祭だった。一般信徒も、聖職者に混じって儀式に参席し、儀式のあとに行われる行列に加わり、町中を行進した。しかしこれ