南部藩は、江戸時代のはじめころ、金山によって藩の財政は豊かであった。 上郷の佐比内にある朴木金山は、特に金の産出が多く、藩に納める税の10分の1だけで年貢米による収入をはるかに超えるほどであった。 遠野でもこのころ、小友に新しい金山が発見され、その領有をめぐって伊達藩との間にあらそいがおこった。各地から金山稼ぎが入り込み、今の小友町のもとがつくられた。金山からの収入は遠野領の財政を豊かなものにした。 しかし、佐比内も小友もまもなく鉱脈がつき、金山景気は長く続かなかった。 また、釜石の橋野鉄山が開発されて、大量の鉄が遠野に運びこまれ、一時は鍛冶業の町として栄えたこともあった。 〔佐比内の金山〕 志和にあるこの地は、遠野南部領ではあるが、金山経営は盛岡南部家の直山として行われ盛岡藩をうるおした。 旧佐比内村にあった八つの金山のうち、朴木金山は、1620年代の25年間は産金日本一と考えられており