ようやく満州事変シリーズの最終回です。満州事変とは直接関係ないかもしれませんが、現代に最も大きな教訓を与えてくれている事例だと思います。 当時の日本の全国紙は新聞社は朝日と毎日の2社のほぼ寡占状態であったが、満州事変前は朝日新聞はリベラル色が強く軍部に批判的であるのに対し、毎日(東京日日)は軍部に好意的と論調は異なっていた。ただし、満蒙問題に関しては、張作霖の爆殺事件があったことか、軍部に対する論調は厳しかった。 一方当時の情勢は、経済的停滞などで国民のフラストレーションが溜まり、景気のよい話題を望む機運が高まっていた。また中国での反日、排日運動の高まりからフラストレーションの向く先がナショナリズムに向かう素地が出来上がっていた。また松岡洋右満鉄副総裁(当時)の「満蒙は日本の生命線」演説が、効果的なキャッチフレーズとなっていた。 こういった情勢で満州事変が勃発した。もともと軍部に好意的ま毎