ウォレアイ(オレアイ)環礁※は、ヤップ島の東南東約600キロ、東京からほぼ南に2800キロに位置するヤップ州の離島のひとつだ。張り出したリーフも入れると東西約12キロ、南北約9キロになる大きな環礁で、そこに20の有人・無人島がある。しかし陸地総面積は2.5平方キロにも満たず、どの島もサンゴの瓦礫と砂でできていて海抜は2~3m、いまでも大きな台風が来るたびに島中が水浸しになる。 こんな場所に、1944年4月から5月にかけて日本の陸・海軍の将兵が6426人も上陸した。そのうち1945年9月の引き揚げ船で生還したのは、たったの1626人(25%)であった。4800人の死亡者のうち、戦死者は307人、93%にもなる残りの4493人は、飢えからくる衰弱や伝染病で死んだ。(写真は上から反時計回りにラウル、パリアウ、フララップ、マリヨン、タガイラップの各島) (追記)朝鮮半島からの徴用者、日本人軍属(民
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