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ブックマーク / tanken.com (3)

  • ウサギ文化史と養兎の世界 | 探検コム

    明治維新の後、士族となった元武士たちは、生活のため、さまざまな職に就きますが、慣れない仕事でほとんどが失敗してしまいます。これを「士族の商法」といいました。 婦人運動家の山川菊栄は、「士族の商法」の代表として「うさぎの飼育」をあげています。 《(殖産興業の)かけ声にのった流行の一つが養兎(ようと)でした。くいつめた士族が家屋敷を抵当にし、家財道具を売って高い種兎を買い、荒れ屋敷の片すみで育てるうちに、ふえたわ、ふえたわ。兎はむちゃくちゃにふえたものの、さて肉や皮の利用は知らず、政府も奨励しっ放しであとは無計画なのですからしまつがつかず、はては餌代にも困り、ただでも貰い手がなくなると、夜になってこそこそ空地やお濠の土手の中にすててゆく者がふえました》(『おんな二代の記』) これは東京の話で、時期はおそらく明治4〜5年頃です。 いったいなぜ、東京でウサギを飼うことになったのか。 実は明治4年以

    maturi
    maturi 2023/01/06
    唱歌『故郷』は「兎追ひし彼の山」で始まります。もちろん追っかけて捕まえた兎は食べるわけで、まさに「ウサギ美味しい彼の山」なわけです。
  • 大阪・軍艦アパートに行く(下寺住宅) | 探検コム

    1931年(昭和6年)、大阪初の鉄筋公営住宅が建築されました。その住宅の名は、大阪市営下寺(しもでら)住宅。約7000平方メートルの敷地に、鉄筋コンクリート3階建て8棟、全部で264世帯が暮らす巨大団地でした。 木造長屋がひしめく一帯に忽然と出現した鉄筋住宅は、都市ガスや水洗トイレ、ダストシュートなど、当時最先端の技術が使われていました。しかも家賃は「最高が月10円10銭、最低6円90銭といふべらぼうなやすさ」(大阪毎日新聞、1930年11月28日付)。庶民憧れの住宅の誕生でした。 わが国最古の鉄筋集合住宅は1916年に完成した長崎市高島町端島、いわゆる軍艦島に作られました。次いで、1927年、関東大震災後の東京に、同潤会青山アパートが完成しました。 大阪では、下寺住宅に続き、1932年に北日東住宅(126戸)、1933年に南日東住宅(260戸)が相次いで建設されています。 いずれも当時大

    maturi
    maturi 2019/06/20
    1931年(昭和6年)、大阪初の鉄筋公営住宅が建築されました。その住宅の名は、大阪市営下寺(しもでら)住宅。
  • 鮎川義介と日本産業(日産自動車)の誕生

    maturi
    maturi 2015/07/10
    今回は、このダットサンから、巨大財閥「日本産業」の歴史を振り返ります。この日本産業、実は三井・三菱を上回り、満州を支配した大コンツェルンなんですよ。
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