明治維新の後、士族となった元武士たちは、生活のため、さまざまな職に就きますが、慣れない仕事でほとんどが失敗してしまいます。これを「士族の商法」といいました。 婦人運動家の山川菊栄は、「士族の商法」の代表として「うさぎの飼育」をあげています。 《(殖産興業の)かけ声にのった流行の一つが養兎(ようと)でした。くいつめた士族が家屋敷を抵当にし、家財道具を売って高い種兎を買い、荒れ屋敷の片すみで育てるうちに、ふえたわ、ふえたわ。兎はむちゃくちゃにふえたものの、さて肉や皮の利用は知らず、政府も奨励しっ放しであとは無計画なのですからしまつがつかず、はては餌代にも困り、ただでも貰い手がなくなると、夜になってこそこそ空地やお濠の土手の中にすててゆく者がふえました》(『おんな二代の記』) これは東京の話で、時期はおそらく明治4〜5年頃です。 いったいなぜ、東京でウサギを飼うことになったのか。 実は明治4年以