『日本書紀』の欽明天皇の条、十三年(544)冬十月。百済聖明王がヌリシチケイらを遣わして、金銅の釈迦如来とその荘厳及び経論をもたらした。 その表にいわく、「この仏を拝しその法を聞かれるようにおすすめめします。世に仏法ほど優れた法はありません。周公孔子も及ぶべくもありません。この教えは広大無辺にして福得果報をなし、煩悩を去って仏道に悟入できるのです。これを信奉すればすべてが思いのままとなり、足らないということなくなります。遠く天竺から三韓に至るまで尊ばれ敬われていない地はありません。仏様自身が経論の中で”わが法は東の果てまで伝わるであろう”とおしゃっています。私はそのつとめをいま果たそうとしているのです」と。 天皇、読み聞きて歓喜踊躍し、使者に、「私はかつてこのかた、かくのごとき霊妙至極の法を聞いたことがなかった。喜びにたえない。しかし、わが国古来の神々のこともあるから、私ひとりで決するのは