「伝統」の一言で南極海での捕鯨やイルカ漁すら正当化しておきながら、少数民族が伝統を理由のサケの漁獲を主張すれば殆ど嫌がらせでしかない難癖を大量に付けて否定する。「和人」の傲慢さに情けなくなると共に、「伝統」というのが如何に都合の良いものとして利用されてきたかが分かる
大阪なおみさんに勝手にキレて勝手に応援やめるとか喚いてる人らを見てると、「当事者以外は口出しするな」みたいなことをいう人間はほぼ例外なく当事者の声にも一切耳を傾けないし、当事者が声を上げるや否や罵声や非難を浴びせるのだなと改めて再確認した
前も似たこと書いたけど、「偽善」や「綺麗事」を嫌悪する人が善行を行ったり何が正しいか考えたりするなたまだいいんだけど、決まって「偽善」や「綺麗事」よりは悪行や露骨で悪意に満ちた本音のほうがまだマシみたいな倒錯した考えに至るんだよね。
いじめの時だけ「人権侵害反対」「被害者の人権を守れ」と良識ぶる人と、痴漢冤罪の時だけ「推定無罪」「冤罪を許すな」と叫ぶ人と、自分に利害関係のある範囲内でのみ"経済左派"に変身する人ってだいたい被ってるよね。
宗主国が植民地の収奪効率化のためにインフラ整備や教育に力を入れるのは当たり前の話。散々朝鮮から搾取し、虐殺し、多くの人々を奴隷のように扱い、言語や名前すら否定しておいて、植民地支配ではないという信じ難い態度。しかも感謝しろと宣う人間までいる始末。どこまで面の皮が厚いのか。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く