5歳の頃の「木村和」を知ってるのは、業界では僕だけでしょう。 KANの奥様からも、そのようなことを言われた。 KANが5歳と6歳の時、2回「缶蹴り」して遊んだんだよな。 大人になってからは、スタレビの要(カナメ)と僕で「和蹴り」して遊んだ。 ステージ上でね。 子供の時に遊んだことのある「木村和」と、再会したのは「下北沢」のお店。 その時、KANは「愛は勝つ」を大ヒットさせてた。 その直後にフジTVの「101回目のプロポーズ」の主題歌の話がC&Aに舞い込んできた。 プレッシャー? ありましたね。 ものすごくあった。 当時「月9(月曜夜9時)」と呼ばれていた、その前のドラマ「東京ラブストリー」の主題歌「ラブ・ストーリーは突然に」で、小田和正さんが200万枚超えのいわゆる「Wミリオン」を叩き出していたから。 今では「叩き出した」なんて表現は使わないけど、あの当時は最もCDが売れた時代。 ミリオン