川から水を引く。これは容易なことのように思えますが、日本の河川は欧米のそれに比べて極めて急峻です(図1)。「これは川ではなく滝だ!」と叫んだオランダの治水技術者もいました。そのため、常時安定した水量を得るために、人々は大変な苦労をしてきました。 川の急峻さに加えて、東シナ海で発生した大量の雲がモンスーン(季節風)にのって日本を襲い、毎年集中豪雨をもたらします。まったく雨の降らない日々が何ヶ月も続いたりします。川は濁流となったり、小川のようにやせ細ったり、流量の変動も極めて大きいのです(図2)。 村や町は、川から水路を引いているため、水路は洪水の流路と化します。毎年、多くの人々が犠牲になりました。渇水になれば稲は枯れます。それはすなわち家族や村の死を意味しました。 日本では、1本の川をめぐり、上流、下流、右岸、左岸の村々が入り乱れて水をめぐる戦いが繰り返されてきました。