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ブックマーク / www.ohkaksan.com (4)

  • 倉敷市立美術館(旧倉敷市庁舎)を見る

    近代建築の構成要素である、鉄、コンクリート、ガラスのうち、コンクリートだけが圧倒的な迫力で迫ってくる建築だ。 丹下健三は1950年代、広島平和記念資料館(1952)、清水市庁舎(1954)、倉吉市庁舎(1957)、東京都庁舎(1957)、香川県庁舎(1958)など、桂離宮に着想を得た、繊細な和風を加味したデザインを押し進め、世界の注目を集めるとともに、全国の庁舎建築のモデルとされてきた。 しかし、突如、倉敷に従来とはまるでちがう重量感のみなぎったこの作品を送り出した。 プレキャスト・コンクリートの部材を組み合わせ、太い現場打ちの柱梁の上に載せた構造だと言われている。 なんとなく分かるような気がするが、実はどれがプレキャストで、どれが現場打ちかは判然としない。 梁の先端を飛び出させるデザインは、構造上必要な要素のように見えて実はそうではなく、あくまでも、梁の存在を感じさせるための見せかけのデ

    倉敷市立美術館(旧倉敷市庁舎)を見る
    maturi
    maturi 2021/03/03
    梁の存在を感じさせるための見せかけのデザインであり、木造建築のイメージを引きずった過去の遺産である。 パルテノン神殿が石造でありながら、木造の細部を残しているのと同じだ。
  • 香川県庁舎を見る

    当然、和風建築の軒先の垂木の端部を思わせるものだ。それがすべて打ち放しの鉄筋コンクリートでできている。 よく見るとその小梁の薄いこと! その幅11.1cm、なんという薄さ! その打ち放しコンクリートの打設の正確さ! ということは、極めて正確な木製の型枠をつくり、中に鉄筋を配置し、そこに極めて丁寧にコンクリートを打ち込んだ、ということである。 実際、型枠製作には宮大工が起用され、大勢の作業員が竹の棒でコンクリートを丁寧に突込んだと言われている。 実際の作業は気の遠くなるような作業が要求されたに違いない。 その結果、50年たったいまだにコンクリート打ち放しの状態が維持され、丹下健三の意図した効果をそのまま読み取ることが出来る。 しかも、その薄い梁は室内へそのまま延びており、室内はすべてその薄い梁が交差する天井で覆われていた!! 軒先に小梁の先端を並べる意匠のために、建築全体が非常な無理な構造原

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    maturi
    maturi 2021/03/03
    かっこよすぎる
  • 電通本社ビルのいま

    1964年の東京オリンピックが終わり、1970年の大阪万博へと向かう、日の近代建築の最盛期、丹下健三はその最先端で輝いていた。丹下の作品に世界の注目が集まっていた。 1960年、丹下健三は急成長する東京の都市問題を解決するためには東京湾に架橋する海上都市を作るしかないと、「東京計画1960」を発表する。 この計画は急膨張する東京は内陸部への拡大は限界であり、直線的に東京湾に道路網を突き出して、海上に高層住宅とオフィス群を作るという壮大な計画であった。その計画はNHKの1時間の特別番組で放映され、大きな反響を呼んでいた。 この当時の丹下健三は建築家であると同時に都市計画の専門家でもあった。 丹下健三は東京大学の建築学科ではなく都市工学科の教授だったのだ。 ちょうどそこへ日の出の勢いで成長していた広告代理店「電通」から社ビル建設の打診があった。

    電通本社ビルのいま
    maturi
    maturi 2021/03/03
    ””梁の端部が飛び出しているのは、いかにも、まだ延びるぞ、伸ばしてやるぞ、という主張が凝縮している。”
  • 東光園の今

    ついにやって来ました。鳥取県、皆生(かいけ)温泉のホテル東光園。それは松林の中に高々と空を突くように聳えていた。

    東光園の今
    maturi
    maturi 2018/09/01
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