もしも産科医師が自らの誤った解釈や手技が原因で、本来守るべき母子の健康を損なってきた事を指摘されたとすれば、それを素直に受け入れる事が出来るのでしょうか。 それが、人の死と直結するような事であれば、認める事は簡単な事ではありません。どらねこであれば、真っ正面から受け止める事ができず、現実逃避や無理筋な反駁を行ってしまうかも知れません。多くの人にとって、取り返しのつかないような過ちを受け止めることは大変に困難な事であると思います。これは代替医療や根拠のない健康法に嵌ってしまった人が後戻りできない理由の一つであると思っております。ハンガリー出身の医師ゼンメルワイスはそんな罪の意識と闘い、過ちを償うためにその人生を捧げました。 この物語を書くにあたっては、南和嘉男著 医師ゼンメルワイスの悲劇 講談社刊(絶版)を大きく参考にさせていただいております。その他、トールワイド著 塩月正雄訳 外科の夜明け
要約: アフリカの伝統医療局は、魔術が効果がない気休めだと知りつつ、それが有害なことだけはしないように監視していた。ところが日本の長妻厚生大臣は、効果がないこと実証済みのホメオパシーを医療費削減のために検討するんだって。厚生大臣のくせにインチキにはまって、見ているほうが恥ずかしい。 かつて訪れたアフリカ某国の厚生省にあたるところには、ふつうの医療を司る各種部署に加えて、伝統医療部というのがあった。伝統的な部族の呪術師たちを監督する部署だそうな。「なんだい、呪文の統一規格でも作ってるのか」とからかったら、かれらは憮然とした顔をして「おれたちだって呪術なんか効かないのは知ってるけど、でも医療が発達してないところでは気休めでも重要なんだ。そしてときどき、プラスチックを粉にして飲むとエイズが治るとか、有害な教えを連中が広めたりする。それを把握して指導しないといけないんだよ」と説明してくれた。ぼくは
要約: 身障者がかわいそうだから、なんか彼らにスーパーマン的な力を与えるような奇跡が必要だとか、現実的な解決策を考えるだけでは不足だと騒いでみたりする哲学者は決定的に想像力が欠けているし、そんなマンガみたいな奇跡が政治経済で実現できると思っている点でまったく常識が欠けているのだけれど、それをほめる人がいるというのもゲンナリさせられることではある。 こんな文章がある。 「ならば、尋ねよう。車椅子抜きでは動けない人間、人工呼吸器を使用する人間、病院や施設に拘束されている人間がいる。そんな人間の移動の自由を確保するために、何が必要になるかを諸君は真剣に考えたことがあるのか。(中略)そもそも、諸君は、自由と潜在能力について本気で考えてきたのか。いつだって現状の政治経済とのトレード・オフを口実にして誤魔化し続けてきたのではないのか。(中略) われわれが願っているのは奇跡である。車椅子がスポーツカーよ
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