避難生活は常に賠償というレッテルとともにあった。福島県浪江町で避難指示が解除された翌日、40代女性は避難先から逃げるようにふるさとに戻った。 かつてJR浪江駅の近くに一家6人で暮らしていた。3ヘクタールの農地を持つ、9代続いた農家だ。東電からは精神的賠償や農業の補償など賠償金を合わせて1億円超受け取った。 農業の収入はなくなったが、賠償金で生活できた。ただ、「働かないで生活している親を子どもはどう思うか」。そう考え、勤めに出た。 ガソリンスタンドで働き始めると、「賠償金がもらえていいね」。同僚たちがうらやましそうに言葉を向けてきた。バレンタインの日にチョコを渡すと冷ややかに言われた。「賠償もらってるんだから、もっといいチョコをよこせよ」 そんな言葉に嫌気が差し、別…