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ブックマーク / fengdao.exblog.jp (3)

  • https://fengdao.exblog.jp/20683311/

  • 告知板としま : 器(1/14)

    このブログは豊島ミホによる仕事告知です。カテゴリの「はじめに」も是非お読み下さいませ。 ★次の新刊は3月くらいを予定しておりますあけましておめでとうございます。豊島ミホです。 て、もう14日なのだよね。「あけまして」じゃないよね。わかってる……。 でも、今年最初の記事となるこの文章を、書けないまま2週間近く過ぎてしまいました。 どう書いたらいいかわからなくて。 11月の記事に書きましたが、今年は休業を予定しています。 07年の5月から、新規の仕事を断り続けて得た休みです。 残るは、あと数話で終わる長編1と、各誌掲載済みの原稿をまとめる作業だけで、 その先は何もありません。コラムの連載が1つ残るだけで、小説は予定ゼロです。 (くどいほど繰り返しますが、単行の刊行はまだあります。 今年出るは去年の仕事だからです。) なんでそんなことをしたのかは、↑の記事にある通り

  • 告知板としま : ケータイ小説考(6/9)

    今月の「ダ・ヴィンチ」第二特集は「ケータイ小説ってどうなの?」でしたが みなさん、読まれましたか? 一般文芸とケータイ小説の間にある溝を浮き彫りにした形だったと思いますが…… 果たしてそれでいいのか! いや、編集方針に文句をつけたいのではなく (連載持ってるのに編集部に文句つける度胸はないっす)、 その「溝」の存在自体に異を唱えたいんです。 この特集のみならず、一般文芸に近いところで ケータイ小説への言及がなされる場合、 その主旨はほとんどが「こんなものを『小説』として読んじゃってる 最近の若者はどうかしてるぜ!」的になってると思います。 こうしてばんばんケータイ小説が出版されるようになる前、 「純愛小説」ブームの時既にそういうことは言われてたよね。 でもそうやってさっ、「普通の小説を読めない君たちが悪い!」みたいなスタンスを 文芸界の人たちが続けたとこで、問題は一切解決しないよね? 溝は

    mayoneez
    mayoneez 2007/06/09
    『つまりアレだよ、「一般文芸語」「ケータイ語」の二語で本を出版すればいいわけだよ!』
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