歴史に関するmayoretasuのブックマーク (7)

  • 【最】サラザール博士とともに苦難を乗り越えるスレ【弱】(世界史過去ログ) - KJ-monasouken’s diary

    先日再掲した、「善政をなした独裁者」の中に出てきた人。 http://d.hatena.ne.jp/KJ-monasouken/20070504#p2 47 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:04/03/23 16:39 サラザール博士 ある日突然卒倒し数日間昏睡。 目覚めたときはクーデター発動後で権力はカケラも残りませんでした。 しかしポルトガル人は優しいので、彼の周辺はそのままにしておきました。 結果、サラザール博士は嘘の報告書を読み、 決して実行されることのない命令を出しつつ、その晩年を送りました。 今回紹介するスレは、世界史板では定番のネタスレ。 【最】サラザール博士とともに苦難を乗り越えるスレ【弱】 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1127715623/ 1 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2005/09/26

    【最】サラザール博士とともに苦難を乗り越えるスレ【弱】(世界史過去ログ) - KJ-monasouken’s diary
  • フリードリヒ2世 - アンサイクロペディア

    フリードリヒ2世は、かの女帝マリア・テレジアのライバルキャラに位置するプロイセンの王様である。しかし己がパーフェクトなライバルキャラたらしめんことを意識しすぎたが故に事態を引っ張りすぎ、最後の最後でマリア・テレジアに勝ちを譲るつもりが、ついうっかりそのまま勝ってしまうといったドジな一面ももつ愛嬌ある啓蒙専制君主である。そのため周りの諸侯・君主たちからは18世紀ヨーロッパきってのKYキャラとして認識されていたが、人は「サンスーシの哲人」を自称していた。また、乙女系男子・文化系男子・母親似・女嫌い・背・目が大きいなどの萌えステータスも兼ね備えており、当時の民衆と後のうふふな歴史マニアたちからは絶大な支持を得ている。また、子供たちの人気者じゃがいぬくんの前世に最も近いとされる。 幼少期[編集] 好きなものをなにもかも取り上げられて「勉強しろ!」と親父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世にどやされ続

    フリードリヒ2世 - アンサイクロペディア
  • VIPPERな俺 : 日本史で誤解されていること、あまり知られていないこと

  • クメール・ルージュ - Wikipedia

    クメール・ルージュ(クメール語: ខ្មែរក្រហម, ラテン文字転写: Khmae Krɑ-hɑɑm、フランス語: Les Khmers rouges、ベトナム語: Khmer Đỏ、中国語: 紅色高棉あるいは赤柬)とは、かつて存在したカンボジアの政治勢力、および武装組織の俗称。 「クメール・ルージュ」(赤色のクメール)という俗称はノロドム・シハヌーク時代、反サンクムの極左過激派を指してシハヌークがつけた呼称である[1]。その後、カンボジア内戦でカンプチア共産党を初めとする諸政党を粛清したサロット・サルが率いる派閥と同義語となった。他の派閥との類似や混同・混乱を避けるためにポル・ポト派とも呼ばれる。 概要[編集] 1953年に国王ノロドム・シハヌークの元でカンボジアが独立すると、クメール・ルージュは反政府闘争を開始した。1960年代、ベトナム戦争により国内は不安定となったものの、シハヌ

    クメール・ルージュ - Wikipedia
  • 呂雉 - Wikipedia

    呂 雉(りょ ち)は、漢の高祖劉邦の皇后。恵帝の母。字は娥姁(女偏に句)。諡は高后(高皇后)。夫・劉邦の死後、皇太后・太皇太后となる。現代では呂后と呼ばれることが最も多いが、他に呂太后、呂妃とも呼ばれる。「中国三大悪女」として唐代の武則天(則天武后)、清代の西太后と共に名前が挙げられる。 生涯[編集] 皇后となるまで[編集] 単父の有力者の呂公(呂文叔平)の娘として生まれた。当時沛県の亭長(宿場役人)だった劉邦が呂公の酒宴に訪れた際に酒宴を仕切っていた蕭何に「進物一万銭」とはったりを書いた劉邦に呂公が感心し、の反対を押し切って劉邦に嫁がせ、一男一女(恵帝・魯元公主)をもうけた。この時は劉邦の父の劉太公の農業を助け、懸命に子供たちを育てていた。ちなみに妹の呂嬃は樊噲に嫁いだ。この時、人相を見る老人が呂雉に対し「天下を取られる貴婦人の相がある」と言われ、また秦の始皇帝が「東南のほうに天子の気

  • 大飢饉と大殺戮の恐怖 - クメール・ルージュの大虐殺

    雲一つない炎天下に広がる朽ち果てた白骨の群れ。殺伐とした荒野には、直径3メートルほどの穴が幾つも並び、その中に数十体の白骨化した遺体が、無造作に投げ込まれている。緑色の汚水にまみれて累々と積み重ねられた腐乱死体からは、ものすごい臭気が漂っている。そこら中、死者の白骨とカサカサになった衣類の切れ端が散らばり、頭上には、人間の毛髪でつくられたと見られる鳥の巣が潅木の茂みに見える・・・この世のものとは思えぬ壮絶な地獄の風景に全身総毛立つ思いをした方も多いのではなかろうか? しかし、これは、映画の中だけの話ではない。豊かで恵まれた農業国と言われ、インドシナの平和のオアシスとうたわれた国で、現実に起こった出来事なのである。ポル・ポト時代のカンボジアでは、まさに、戦慄すべき地獄がこの世に現出したのである。わずか、4年間でこれほど多くの人間が殺され、破壊と憎悪が吹き荒れた国はないだろう。生き残った人々で

  • VIPPERな俺 : 世界のタブー・語られない謎

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