2017年4月22日のブックマーク (5件)

  • 新興宗教全部が危険なものと捉えられがちな理由について一考 - ちしきよく。

    今日、このような増田の投稿を見かけた。 anond.hatelabo.jp 私の会社にはクリスチャンがいる。しかし私を含め誰一人、その事で不安になるものは居ない。(中略) しかしこれが新興宗教となると気持ちが一変する。私の中の警告アラームが鳴り出し、倫理観で抑えようにも抑えきれずにいる。そしてこれは私だけの感覚で無いと確信さえしている。 つまり、この増田さんは「自分でもダメなのはわかってるけど、どうしても新興宗教の入信者と伝統的な宗教の入信者との間に、差をつけてしまう」ということで悩んでいらっしゃるらしい。また増田さんの仰る通り、この二つに差をつけてしまう日人は恐らく結構多いと思う。私もなぜかそうだから。 この差は何なのだ。なぜ受け入れられる信仰と、受け入れられない信仰が、無宗教である私の中に既に形成されているのだろうか。 そんな事を考え続けいるのだが一向に答えが出ない。 そう、まさにこ

    新興宗教全部が危険なものと捉えられがちな理由について一考 - ちしきよく。
    mazmot
    mazmot 2017/04/22
    敬虔であることと組織宗教の構成員であることは独立した事象。その両方を「宗教」というタームでくくらなければいけないところが、おそらくこの先に解決していかなければいけない課題なのだろうな。
  • マスト丼 by kwappa

    マグロユッケ マグロ赤身 250g ごま油 大さじ4 醤油 大さじ3 味醂 大さじ3 おろしニンニク 小さじ1 おろしショウガ 小さじ1 すりごま 大さじ1 甜麺醤 小さじ1/2 トロロ 長芋 300g すき焼き すき焼き用牛肉 300g 長ネギ(白いところ) 2 しらたき 1袋 割下 醤油 大さじ3 味醂 大さじ2 砂糖 大さじ1 水または酒 大さじ2 仕上げ用 大葉 10枚 卵黄 3個

    マスト丼 by kwappa
    mazmot
    mazmot 2017/04/22
    マスカルポーネとトマトをオリーブ油であしらった洋風マスト丼もよろしく。
  • 他人が同一人物かどうかを考える-記憶への依存- - ハイハイで散歩中

    前回の記事の最後に、以下のような問いかけをして、記事を終了した。 涼宮ハルヒの「エンドレスエイト」で、夏休み(8月17日〜31日の15日間)最後の日が終わると、その期間中の記憶はリセットされ、また17日から全く同じ内容の夏休みを繰り返すのだが、そのループする際、記憶がリセットされる前の自分と、された後の自分は、はたして同一人物なのかどうか、 という問いだ。 その時の記事ではあまり深く追求しなかったので、今回は、そのことをより深く考えていこうと思う。 まず、この同一人物かどうかの問題は、誰が、その対象者(同一人物かどうかの対象となる人物)を判断するかということが重要になってくると思う。 今回は2つのパターンで考えることにする。 ・他人が、対象者を判断する。 ・自分が対象者で、それを自分で判断する(自分自身が同一人物かどうかを自分で判断する)。 第1段階 まず、他人が対象者を判断する場合を考え

    他人が同一人物かどうかを考える-記憶への依存- - ハイハイで散歩中
    mazmot
    mazmot 2017/04/22
    続編待ち
  • 「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か

    タイトル通り。少なくとも自分は子供時代、「慶安のお触書き」とともにそんな学習漫画を読んだものですが、果たしてそれは事実だろうか?という話です。 「農民人口が8-9割で、しかも鎖国して輸出ゼロなんだから、農民が米べないと最終的には腐っちゃうだけじゃん」という指摘は目からウロコでしょ(笑) もちろん一般的な年貢の重さや生活の苦しさとはまた別の話ではありますが。 @CnZBYF1ctAj1R23 @ut_ken @tyokorata @tyuusyo @mamesiba195 @wing_starbow @minoruno @manyu1490 @HB27624303 @tennteke

    「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か
    mazmot
    mazmot 2017/04/22
    農文協の日本の伝統食シリーズ読めばわかるけど、昭和初期でさえ農民が米を食っていたかどうかは地方によって大きく違う。山間部は雑穀糧飯、平野部では麦飯が主流だったのはまちがいない。それと、150kgじゃ足りない
  • 信仰とは何なのか

    私は特定の宗教を信仰していない。 教会で結婚式を挙げ、子供の七五三には神社で祈祷をしてもらい、多分死んだらお寺でお経を読まれるであろう、ある意味典型的な日人だ。 今日、とある宗教団体の若者達と話をする機会があった。彼らの身分は学生で、あと何年かすれば社会に旅立って行く子達だ。 彼らに会いに行ったのは仕事の付き合いで、正直気乗りするものではなかった。私の仕事について講義をし、簡単なディスカッションを行うといった内容だ。 仕事柄、こういった講義の依頼は大学や専門学校などから年に何度か受けているのだが、今日の講義・ディスカッションを受けた学生の質は、非常に高かった。そして私が感じた率直な思いは、「こういった形で出逢わなければうちの会社に欲しいところだ」というものだった。 彼らの団体に対する依頼を受けた事で、彼らは私をその宗教に理解のある人、つまり味方であると捉えている。私に対しては自分の信仰を

    信仰とは何なのか
    mazmot
    mazmot 2017/04/22
    タイトル見て「また大層な」と思ったが、問題の切り取り方は上手い。新興宗教かどうかより、私なら組織宗教か個人の信仰かで分類するな。組織宗教って、あるラインから先はとんでもなく非論理的になる。あれは嫌。