「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。 そこまでは正しい。 だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」という本を出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、この本も20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。
Wirelesswire読者の皆さん、はじめまして。 株式会社ユビキタスエンターテインメントの清水と申します。 私はプログラマーであり、経営者でもあります。 プログラミングと経営、この二つは非常に離れているようでいて密接な関係があります。 なぜなら、プログラムの語源はギリシャ語のπρ?γραμμα(プログランマ)に由来し、これは公に書かれた文章を意味しているそうです。 また、コンピュータというのも、かつては職業(計算手)でした。 それが今日、コンピュータが機械化され、プログラムが人を扱うための手法ではなく機械を効果的に扱うための手法へと意味を変えたものの、もともとプログラム本来の役割である「自分以外の者の振る舞いを決める文章」は喪われていません。 つまり、自動計算機としてのコンピュータと、プログラムは、本来切り離せるものだったのです。 そして他人の振る舞いを決めるという手法そのもの
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