2011年2月11日のブックマーク (6件)

  • ル・モンド・ディプロマティーク日本語版 - ル・モンド・ディプロマティークで世界を読む

    さる7月30日、エマニュエル・マクロン大統領はモロッコ国王ムハンマド6世に宛てたたった一通の書簡によって、モロッコの西サハラ統治を認める決定をした。それは国際法を無視しただけではなく、フランスとアルジェリアが保っていた関係のあやういバランスを壊すものでもあった。 →

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    mebatch 2011/02/11
    「東欧の極右」。WW2後に社会主義圏の枠組みの中で一旦凍結した民族主義が東欧政変を機に解凍し、“西側”にはレトロに見える民族主義が叢生し始めた…という話は聞いたことがある。
  • 人類が発した電波、どこまで広がってる?

    人間が発した電波って、宇宙ではどこまで届いてるんでしょう? グリエルモ・マルコーニの無線通信システム以降、人間が電波で通信するようになってから約100年が経ちます。ということは、その電波は地球を中心に直径200光年の範囲にまで広がっているはずです。 直径200光年もあって、しかもそれが(理論上は)拡大していくなら、その範囲にたまたま地球外生命体がいてもいいような気がします。 でも、銀河系全体と比べてしまうと、上の画像の矢印で示されてるくらいの大きさなんです。銀河系は直径約8万~10万光年と言われていますので、直径ベースで400~500倍ですね。三次元で比べるとその差はさらに広がります。 人間の電波が届く範囲が広がっていくとしても、そして銀河系のどこかに生命体がいたとしても、彼らに人間の存在を知ってもらうためには、相当時間がかかりそうです...。 [jacakadamblog via Gee

    人類が発した電波、どこまで広がってる?
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    mebatch 2011/02/11
    カール・セーガン『コンタクト』の世界
  • 『非線形のエチカ』

    前に安冨歩先生の著書を紹介しました。(ここ ) その安冨先生が昨年末に『経済学の船出』というを出版されました。 経済学の船出 ―創発の海へ/安冨 歩 ¥2,520 Amazon.co.jp これを読んで以来、 どうこのを紹介すべきか ずっと悩んでいたのですが、 今回書くことにします。 というのも、 このは後半がスピノザ論になっており、 しかもそれが 俺にとって実に強烈というか、 自分の関心にぴたりときたというか、 まさしく目を開かせてくれたというか、 当に驚くべき内容であったからです。 俺は高崎からの帰宅途中でこのを読み始めましたが、 途中で最寄り駅を乗り過ごすところでした。 に熱中して乗りすごしそうになったのは 久しぶりのことでした。 また、 我田引水のつもりはありませんが、 このは俺が『スピノザの方法』で論じた デカルトとスピノザの違いを より大きなパースペクティヴにつな

    『非線形のエチカ』
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    mebatch 2011/02/11
    デカルトの道とスピノザの道の分岐
  • 熟議的な熟議と、そうではないもの - on the ground

    日々不勉強を沁み込ませている身では、専門的なことについて何かを言うということははばかられるのですが、しかしそれでも感じたり考えたりしていることを折々に吐き出しておかないと、いつまで経っても何も言えないことになるので、最近細切れに書き付けていることなどをラフにまとめておきます。お題は「熟議」です。 松浦正浩([twitter:@mmatsuura])さんは、社会的合意形成を導く営みとしての「交渉」と「熟議」を、それぞれ次のように特徴付けています。すなわち、交渉が「各当事者の価値観や利害関心は不変であることを前提に、それぞれの利害関心を満足させる最適解」を模索する点で「利害調整に主眼」を置くものであるのに対して、「利害関係に縛られない自由な対話」を通じて「公共的な価値観を創生していくこと」を重視するのが熟議的デモクラシー(deliberative democracy)である、と(松浦 [201

    熟議的な熟議と、そうではないもの - on the ground
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    mebatch 2011/02/11
    利害交渉の場とそれをメタレベルから評価する場との二層構造を、あらかじめ制度化しておくということなのかな
  • エジプトについてバカ丸出しな発言をしないための手引き

    A Guide: How Not To Say Stupid Stuff About Egypt (訳註:アメリカ人向けっぽいところもあるけど、そのまま翻訳) 「彼らの文章がうまくてすごいと思った」 こういう発言のどこが変なのか分からなかったら、 同じことをラテン系やアフリカ系に向けて言うかどうか考えてみてください。 言いませんね。 だからエジプト人にも言わないようにしましょう。 エジプト人8000万人のなかには、文章がうまい人も高学歴の人も多言語話者もいます。 別にすごくありませんから、わざわざ言わないでおきましょう。 考えてしまうのはしかたないかもしれませんが、口に出すとバカ丸出しです。 「悲しい」 悲しむべきなのは30年間の圧制と抑圧と拷問です。 「サーダートのほうが好きだった」 ムバーラクもサーダートも同じ穴のムジナです。 同じ抑圧、同じ人権侵害がありました。 好きだったと言いたい

    エジプトについてバカ丸出しな発言をしないための手引き
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    mebatch 2011/02/11
  • 日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)

    「最近日から寛容さが失われている」のは何故か - Togetterまとめ 新幹線の車内ではしゃいでいる子どもや、夜遅くまで騒いでいる大学生に対し、私達はどれだけ寛容な気持ちを保っていられるだろうか?次世代を担う子ども達の、年齢相応の振る舞いに対してさえも、寛容よりも非難が勝る人が増えているのではないだろうか? 寛容さとは正反対の、きわめて自己中心的な人達もよく見かけるようになった。自分の意に沿わない相手に攻撃的な人間や、他人に際限なく要求する人間が、モンスター○○などと呼ばれて問題視される時代でもある。*1 これらを踏まえて「昔の日人が寛容」で「現代の日人は寛容じゃなくなった」と結論づける人は多そうだ。少なくとも、見かけ上、日から寛容さが失われたように見えるのはその通りかもしれない。 「身内」には寛容でも「他所者」にはそうでもなかった日人 では昔の日人は、当に寛容だったのか?

    日本人が失ったのは「寛容」ではなく「身内」では? - シ口クマの屑籠(汎適所属)
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    mebatch 2011/02/11