2017年・夏「三池炭鉱閉山20年 関西展」開催へ向けて― ▶ちらし(PDF) 私たちは、炭鉱があった町で生まれ育ちました。戦争が終わり、何もなかった時代、親たちは住む家と日々の糧を求めて炭鉱で働くようになったからです。厳しい労働の中、いつの頃からか、「団結」というキズナが生まれました。「仲間」と呼び合える友にも出会いました。貧しくとも、未来を見つめ、闘い続けました。時には大切な仲間たちを失ったこともありました。そして、いつしかヤマの灯は消えてしまいました。しかし、炭鉱の記憶は消えるどころか、よみがえってくるばかり。炭鉱であったことを忘れないでほしいと、親たちの声が聞こえる。 実行委員代表・「異風者からの通信」主宰 前川俊行 寄付のお願い 日本の近代化を支えた花形産業である石炭産業は日本から姿を消し、技術開発・研修用に釧路炭鉱が残るのみとなりました。福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる三
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