みなとヨコハマの核の一つであった横浜造船所は、1983(昭和58)年まで、JR桜木町駅前にありました。造船所の跡地はみなとみらい21地区となり、船の修理に使用されたドックは、現在ドックヤードガーデン(旧横浜船渠株式会社 第二号ドック)、日本丸メモリアルパーク(同 第一号ドック)として、多くの人々に親しまれています。 第二号ドック、第一号ドックは今から約120年前の1896(明治29)年、1898(明治32)年に、横浜造船所の前身である横浜船渠の一部として完成しました。ドックを備えた造船所「横浜船渠」をつくることは、横浜港が国際港として発展することを願う横浜の商人や東京の財界人、明治政府の夢でもありました。この企画展では、みなとヨコハマとともに発展した横浜船渠の生い立ちを紹介します。 横浜船渠(株)全景 (恩地薫氏蔵/横浜開港資料館保管) 第一号ドック建基式当日ドック築造を担当した技師ら (