2008年5月8日のブックマーク (1件)

  • 「好き」には「嫌いであることを認めること」も必要なんじゃないかな。 -

    ネットに限らない話かもですけど。 ちょっとばかし博愛主義者ぶったりなんかして、人にはいろんな性格や事情や偏見があるに決まっているのだから、だから彼や彼女の行動や発言がちょっとおかしいからって嫌いになんかならないで…博愛の心で接してあげて…なんてことを思ったりもするのですけれど、そうやって発揮した博愛って自分にウソをついているのだと思う。当は彼や彼女を嫌いだっていう自分の心にウソをついてる。そしてきっとそのウソはいつか大きな歪みとなってみなさん自身をキツい目にあわせちゃうと思う。 嫌いなら嫌いであることを、あるいは愛する必要がないことを自分に認めさせるべきなんだと思うんです。自分にウソをつかないことで、自分自身もラクになるだろうし、もしかしたら彼や彼女を好きにすらなれるかもしれない。少なくとも「寛大」にはなれるだろうと思う。 そんなの当の「好き」や「愛」じゃないって言われたら、そうかもし

    「好き」には「嫌いであることを認めること」も必要なんじゃないかな。 -
    megmama
    megmama 2008/05/08
    嫌好には人格と行動(事象)に対する2種類がある。混同せずに分別整理してみれば「嫌いな部分もあるけど、あいつは好き」って心から思えるかも。