西郷は、兵庫開港でもっとも尽力をしたのはイギリスであるのに、一番甘い汁を吸うのはフランスである。だからイギリスは「仏人のつかわれもの」だと言ってサトウを挑発したのである。興奮したサトウは饒舌となり、いろんなことを西郷に語ったのだが、その内容がGHQ焚書の『幕末期東亜外交史』に要約されている。 仏人はサトウに、幕府の薩長取り潰しを仏英協力して援助してやろうではないかと、話を持ち掛けてきた。サトウは「串戯(じょうだん)でしょう。長州一藩さえ抑え切れぬ幕府など、援助しようにも方法がつかぬではないか。」とやりかえしたので、仏人も二の句がつけなかったようなわけです。しかしかかる論を公然とイギリス人にもちかける位ですから、フランスは、きっと幕府を援けて、諸侯をつぶす策をめぐらしていることは勿論で、幕府は「両三年のうち、金を集め機械を備え、仏(フランス)の応援を頼み、戦を始め候所存」とみえる。その時は、