デザインと感覚と社会解釈に関するmeltyloveのブックマーク (4)

  • 会田誠関連 - 東京永久観光

    私が「差別の絵画は絶対ダメ」とは感じないのは、けっきょく「差別は絶対ダメ」とは考えていないからなのだろうか? 話がややこしくなるが: そうすると、たとえば「体罰の絵画は絶対ダメ」とはまったく感じない私は、けっきょく「体罰は絶対ダメ」とは考えていないのか、というと、そうではないと思う。 というふうにして、体罰の実行と体罰を描いた絵画はまったく異なるが、差別の実行と差別を描いた絵画はけっこう似ている、ということに気付かされる! 「その行いが差別かどうか」は要するに曖昧なのではないか。「その行いが体罰かどうか」に曖昧なところがまずないのに比べて。 私は、会田誠の「犬」シリーズを見て「面白い」と思う。そしてそんな自分に曖昧な後ろめたさをおぼえる。それはきっと、「これは差別ではないんだ」と信じる気持ちと、「これは差別かもしれない」と疑う気持ちとが、混在しているせいなのだ。 絵画の専門家ではなく差別の

    会田誠関連 - 東京永久観光
    meltylove
    meltylove 2013/02/06
    "それはきっと、「これは差別ではないんだ」と信じる気持ちと、「これは差別かもしれない」と疑う気持ちとが、混在しているせいなのだ"
  • 宮本茂さん、『Wii Fit』などを語る。 第8回「イメージの要所に杭を打ち込む」

    あのね、ま、言いづらい話なんですけど、 世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが すごくたくさんいてね、多くの場合、 その人たちが迷惑をかけるんですよ。 なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、 すごく頭のいいことを考えて、 みんながそれに従えば 世の中がよくなると思ってるんです。 で、法律や、決まりや、 マニュアルをたくさんつくる。 それに従えば幸せがやってくると思って。 「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。 でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、 「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、 「俺、じつは読んでないんですよ」とか、 「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。 そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、 「どうして大衆ってバカなんだろう」って もう、涙を流しながら思うんです。 「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。 でもね、彼らが言うようなことが

  • 最近のインターネット - matakimika@hatenadiary.jp

    「搾取」と言っとけば、搾取される側はイノセントだということになる、という副次効果がある。でもまあ完全無欠に無罪な人間はあんま居ない。「個別に掘ったらいろいろと問題がある人間たちを認めていかなければ、個別に問題のある人格である我々自身に生き場などはない」問題、ラノベの「エキセントリックなヒロインに振り回される主人公の態度を我々は赦し受け入れていかねば先などない」みたいなのに似てる。 救済されるからには完全無欠の無罪感が要請されてしまう、というキツさがちょっと問題だよなと感じる。搾取がどうにも悪いなら、有罪なやつが搾取されていたとしても、やっぱそりゃまずいだろと自然と思う、という訓練が必要だよな。なんか因果応報みたいな概念によって「悪いやつに一見あんま関係ない不幸がふりかかることをしめしめと思うような処理」ってインプラントされちゃいがちで。 あとネット文章で「搾取」って使うと、読者に対するわか

    最近のインターネット - matakimika@hatenadiary.jp
  • 「ない」ことと「必要ない」こと - レジデント初期研修用資料

    単なる自由には意味がない 自由というものは、不自由が作り込まれてはじめて意味を持つ。 飛べるようになった人間は、飛べない人間に比べればたしかに自由かもしれないけれど、「行く手を阻む壁」や「飛び越えられない谷」が存在しない現代社会なら、鳥人だってたぶん、電車に乗って移動する。「できる」だけでは足りなくて、それが切実な機能として要請されて、世界はようやく書き換わる。 あるべきものがない状態は不自由を産んで、それがどれだけきれいな機械であっても、ユーザーはどこかで妥協を感覚してしまう。 ボタンのない機械は不便 最近のタブレット端末にはボタンがついていない機種が多くて、ボタンだらけの携帯電話に比べれば、タブレットの佇まいはたしかにきれいなのだけれど、使っているとやっぱり、たまにボタンがほしくなる。単なる「ない」を「必要ない」に変えるためには、機械の側に、「それがいらない」機能を作り込む必要があって

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