一年ぶり二度目の神津島。 東京で一番かっこいいアニメイト。
![東京の島々II - 未来の蛮族](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3eddce97d41d22fa41eaab55d85c98809c259803/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Ffarm6.staticflickr.com%2F5116%2F7182552764_130d46baac_b.jpg)
バカな人間は喋ってはいけない。無力な人間は何もするべきではない。優秀な僕たちの邪魔になるからね。 これはおれの被害妄想である可能性が高いんだけど、どうもそこかしこでそんなことを言われているような気がしてならない。 バカと暇人のものであったはずのインターネットにまでこうした論理が幅をきかせるようになった気がして、おれはとてもさびしい。まあ、皆の言わんとすることもわからないじゃない。自分の専門分野で、まったく見当違いなことをわあわあ喚かれたら、うっとうしくもなるだろう。バカはたいていこれまで議論の前提を無視して話をはじめてしまうし、自分の感性に無意味な自信を抱いているもんだから、もう全く勉強なんてしないもんな。最近の世の中の動きからすると、バカが好き勝手に喋りだすことは「うっとうしい」を超えて「恐ろしい」の領域に足を踏み入れているような気もするし。 それで、みな「バカは黙れ」っていうわけだ。
子供のころに住んでいた島には、年に一度は大きな台風がやってくる。吹き荒れる風は木々をなぎたおし、町の看板を吹き飛ばす。それくらいならまだいいのだけども、空気を読まない風どもは電線までもやがて断ち切り、家々はたやすく停電状態に陥ってしまう。そんなとき、おれの父親は決まって家にいなかった。父親は水道関係の技師をしていて、台風が来たときにはあちらこちらを駆け巡って破裂した水道管の修理などを行わなくてはならなかった。幼かったおれは暴風のなか働く父親のことなど全く心配していなかった。子供のころのおれから見ると、父親は信じられないくらい力が強く、重かった。それでおれは、いくら台風といえども彼を傷つけることなどできるはずがないと思い込んでいたのだ。 おれは現実と漫画の区別がつかないタイプの子供だったので、台風が来るといつも、雨粒を避ける訓練を行うことにしていた。子供にとって、台風の力というものは十分に強
不安に陥る、という表現がある。ちょっと前のおれを表すのに、これ以上適した言葉はないだろう。おれは確かに不安に陥っていた。もちろん、不安の源は原発だ。で、今のおれがどういう状態にあるかっていうと、これはなかなか表現が難しい。おれはいま、安心している。それは確かなのだけど、それはやはりただの安心とはちょっと違う。今のおれの状況を、できるだけ正確に表現しようとするならば、これはもう「安心に陥る」とでもいうほかないのではないか、と思う。なぜって、おれは理性では…もちろん、おれにそんなものがあるとしての話だが…理性では、まだまだ安心するような時間じゃない、という判断しているからだ。だってそうだろう。不安を感じていたころに感じていた不安はだいたい現実化してしまっているし、事態が好転する兆しもない。不安はより強まっていて然るべきだ。にも関わらず、おれは安心してしまっている。自分の意に反して、安心感だけが
いじめ。学級崩壊。人類が21世紀を迎えてもう何年も経つというのに、教育現場では僕の子供時代と何ら変わることの無い問題が繰りかえされ続けているようだ。この辺りの問題は、単に教育問題というよりも、人類全体がずっと抱えてきた病気みたいなもんだから、さすがに一発で解決する方策を見出すのは難しいだろうと思う。ただ、少なくとも日本の学校教育においては、これらの諸問題を軽減する方法はあるのじゃないかと思う。それは子供たちに、ひとりぼっちでいることを許してあげることだ。 子供のころの僕にとって、学校を嫌いになる理由なんて無数にあったけれど、その中でも最も大きなもののひとつは、学校の中では、孤独が禁止されているということだった。構造として、制度として、学校はそういう風に作られている。学校の中で、ひとりぼっちでいると、ほんとうにみじめで寂しい思いをすることになる。大人になってから分かったことだけど、そのとき感
もう、ずいぶんと昔の話になってしまうのだが、僕は大統領と握手をしたことがある。大統領と言えば、もちろんそれはアメリカ合衆国大統領にほかならない。これはたまたまトイざラスで買い物中の大統領に出くわした……とかいうわけではない。2000年に開催された九州沖縄サミットの際、当時のアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンが糸満の平和記念公園で沖縄県民に向けて演説をする、というイベントがあったのだ。演説終了後には、大統領と地元の高校生たちが友好的に握手を交わす、という場面があらかじめ用意されており、当時まだ沖縄の高校生だった僕も、握手用のモブとして選ばれたのだった。僕は当時、料金以下のマズイめしを食わせるレストランでさえも気前よくおかわりをオーダーしてしまうような、いわゆる優等生のレッテルをはられた存在であったから、こうした役割にはうってつけだったのだろう。最初のうち、僕はこのことについてとくに何も考え
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