▲角田光代『空中庭園』(2003年) 郊外、この遍在する空間 酒鬼薔薇事件(一九九七)をはじめとして、「郊外」と呼ばれる社会空間が問題化したのは一九九〇年代でした。またそれと前後するかたちで「郊外」を主題とする書籍や論文や評論がさまざまな領域から出版されてきました。そうして、現在ではある種の一ジャンルといって差し支えないほど郊外にかんする言説の積み重ねが存在しています。 いまその膨大な言説史をまとめる余裕はありません。ただ、わたくしはみずからが育った場所でもある郊外という空間/場所について、一篇の小説を通して思考してみたいと思います。ところで、それは存在論的な問いでしょうか。しかし、そのように問うには困難がつきまといます。なぜと言うに、郊外とは文化的な固有性を持たない抽象の空間であり、それこそが構成要件となっているからでありましょう。すなわち、そこに「根ざす」ことの不可能性を顕わにし、また