琉球というと中国の影響が強くあって、昔は中国風の文化だったのが、近世(江戸時代)に薩摩藩に征服されてから次第にヤマト(日本)化していったと考える方も多いと思います。しかし、事実は全く逆。琉球は薩摩に征服された後に「中国化」していくのです。 もちろん琉球は中国(明・清)の朝貢国だったので、中国の影響が全く無かったわけではありません。しかし近世の琉球は中国文化をとくに積極的に取り入れていきます。 例えば首里城で行われる儀式。近世以前の王府儀礼は中国の拝礼様式を参考にしつつも、何とヤマトの陰陽道の方式が取り入れられていました。王府の重要な儀礼のひとつである元日の天を拝む儀礼では、年ごとに縁起のいい方角に向かって王や官人が拝んでいましたが、これは「歳徳神(恵方)」の信仰にもとづくものです。この信仰は節分に食べる恵方巻き(まるかぶり)を思い浮かべていただければわかりやすいと思います。 しかし、この恵