単なるメモですが、『南史』巻72の文学・崔慰祖伝に (崔)慰祖、宅を賣りて四十五萬を須めんとするに、買者云へらく「寧ろ減ずること有るやいなや」。答へて曰く「誠に韓伯休に異なれば、何ぞ二價を容れんや」。買者又曰く「君は但だ四十六萬で賣らんとすれば、一萬与えられん。」(崔)慰祖曰く「豈是れ我が心ならんや?」 とあって、どうやら貧窮してどうしても手放さなければならなくなったというわけでもなさそうなので、45万銭ぐらいが中古住宅を売りに出す際の当時の相場だったようです。 ちなみに「韓伯休」は『後漢書』列伝73・逸民伝に載っている韓康のこと。同書によれば、長安の市で薬を売っていた韓康は三十数年間、定価販売で掛け値をしなかったことで、世を避けているはずなのに有名になってしまったという人物……。 それで、この数字を見た上で、例えば南斉の高官褚淵が亡くなった時の負債が数十万銭。朝廷から賜ったのが20