原爆投下で広島中央放送局(現NHK広島放送局)も壊滅的な打撃を受けた。技手だった森川寛さん(1974年、63歳で死去)の被爆直後からの日記を、長男高明さん(74)=広島市西区=が公開した。「兎糞(とふん)録 昭和廿(にじゅう)年」。1945年8月6日からの記述を抜粋して読み解く。(編集委員・西本雅実) 八月六日 出勤して演奏所(上流川町=現中区幟町=にあった広島中央放送局)の玄関に入り、二階に上る階段の踏(み)場に立つた時バツと下から爆風が来て倒れた/あたりは何も見えぬ。その時二階より自分にぶつかり来た者がある/『間島だ。やられた』/初めて敵の空襲と解(わか)つた。時正に午前八時十分過きなり(間島輝夫放送部副部長は直後に死去) (放送局前の)道を右往左往するものは此(こ)の世のものとも思へぬ血だるまの形相が叫びながら親を呼び、子を呼ぶ/重傷の田中(保男)現業課長と相談して職員に原放送所に待