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ディーゼル機関車に関するmforce4のブックマーク (40)

  • 西ドイツ国鉄V162形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    製造の背景[編集] 中重量級列車や支線では1960年からV160形が使用されていたが、今後製造される列車の暖房が蒸気によるものから電気によるものへと変更されるため、電気暖房用の発電装置を備えた機関車が求められた。 DBは1963年からクルップと開発を開始。1965年から翌年にかけて、発電機の製造元を変えた試作車が3タイプ製造された。 構造[編集] 試作車[編集] 機構的にはV160形を基としており、メインエンジンは同じマイバッハのMB16V652TB型(1940PS=1427kw)である。発電用エンジンはMANのD3650 HM3U型(500PS=386kw)である。 エンジンを2基搭載することから、V160形よりも全長が400mm長くなっている。 特徴的なのは補助エンジンの使い方で、単体で電気暖房用発電機を駆動するほか、貨物列車等、牽引力が必要な場合はその出力を走行用に振り向けることが

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  • 西ドイツ国鉄V169形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    西ドイツ国鉄(ドイツ連邦鉄道。DB)V169形は、ガスタービンエンジンを補助的に使用する液体式ディーゼル機関車の試作車である。V160形を発展させた形式であり、1965年に1両のみが製造され、1968年の称号変更で219形とされた。 のちにガスタービンエンジンを撤去され、ドイツ国外に売却されたあと再び買い戻され、2007年現在、エルベ-ヴェーゼル鉄道(EVB)の420.01形として使用されている。 製造と運用[編集] 開発と試験[編集] 1963年当時、V160形が大量に製造されていたが、将来の標準形式を定めるべくプロトタイプのテストが計画された。あわせて電気暖房も検討された。そのためエンジン出力はV160形よりも大きなものが要求され、1965年から翌年にかけて試作されたV162形(のちの217形)は走行用エンジンとは別に、主に電気暖房用発電機に使用する補助エンジンを搭載した。電気暖房を使

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  • 西ドイツ国鉄V80形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    V80形ディーゼル機関車は、1952年に登場した西ドイツ国鉄(ドイツ連邦鉄道、DB)の液体式ディーゼル機関車である。10両が製造され、1968年の称号変更後は280形となった。1976年から1978年にかけて全車が運用を離脱した。 独特のスタイルから一部で「U-Boot」の愛称で呼ばれた。 参考文献[編集] Andreas Knipping /Uwe Miethe,BILDATLAS DER DB-LOKOMOTIVEN(GeraMond,2010)ISBN 3765470198

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  • 西ドイツ国鉄V200形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    V200.0形試作車: 1471kW(2000PS) 同量産車: 1618kW(2200PS) V200.1形:1986kW(2700PS) 221 132(V220.1形) 西ドイツ国鉄V200形ディーゼル機関車は、ドイツ連邦鉄道(DB、西ドイツ国鉄)の急行用液体式ディーゼル機関車である。初期に製造されたものはV200.0形と呼ばれ、1962年からは出力を増大したV200.1形が製造された。それぞれ、1968年に220形および221形と改称されている。 製造・運用[編集] まず1953年から翌年にかけて、クラウス=マッファイにて試作機が5両製造された。1956年より量産が開始され、同社にて61両が、マシーネンバオ・キール(現MaK、のちフォスロ)にて20両が製造された。 信頼性が高く、V200形はあらゆる幹線において急行列車を牽引し、ドイツ国営鉄道(=分割前のドイツ国時代の国営鉄道。DR

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  • 西ドイツ国鉄210形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    西ドイツ国鉄(ドイツ連邦鉄道。DB)210形ディーゼル機関車は、出力を補助するためのガスタービンエンジンを搭載した液体式ディーゼル機関車である。V160形(のちの216形)からの派生形式のひとつ。 製造の背景[編集] 1950年、西ドイツ国鉄(DB)はスイス連邦鉄道(スイス国鉄)のガスタービン機関車、4/6 1101形を試用した。この機関車はガスタービンエンジンで発電し、その電力で駆動するものであった。ガスタービンエンジンは軽量・高出力だが燃料消費量が大きく、V200形ディーゼル機関車との比較でも圧倒的に不利であり、この結果を受けてDBはガスタービンエンジンを機関車の主要な動力源とすることを断念している。 10年後の1960年、中重量級列車用液体式ディーゼル機関車であるV160形が営業に就いた。DBは、V160形にコンパクトなガスタービンエンジンを高負荷時のアシスト用に追加し、総出力を向上

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  • 西ドイツ国鉄V160形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    西ドイツ国鉄V160形ディーゼル機関車は、西ドイツ国鉄(ドイツ連邦鉄道、DB)が1960年より投入を開始した液体式ディーゼル機関車である。1968年の称号変更後、216形とされた。派生形式が多数存在し、210形、215形、217形、218形、219(初代)形がある。項ではこれらについても述べるが、各項目も参照されたい。 概要[編集] 第二次世界大戦後、西ドイツではV200形を1953年より製造していた。V200形は出力1000PS〜1350PSのエンジンを2基搭載する液体式ディーゼル機関車だが、エンジンと変速機を2組搭載しているために保守コストが高くついた。その解決策として、大出力の1900PSエンジンを1基搭載した機関車が形式である。幹線・亜幹線向けとされた。旅客・貨物列車兼用で使用され、旅客列車での最高速度は時速120km。貨物列車では低速段を使い、最高速度時速80kmとされた。旅

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  • 気動車とディーゼル機関車|明希工業株式会社

    1965年の設立以来蓄積してきたSL(蒸気機関車)、DL(ディーゼル機関車)の保守・整備技術をもとに、広く鉄道整備の保守・整備業務を行っております。

  • 北陸重機工業株式会社

    OUR MISSION製造サービス業 を⽬指す、 私たちのモノづくり 当サイトをご覧いただきありがとうございます。 私たちは新潟で50年以上にわたり、鉄道⾞両や特殊⾞両の製作を⾏ってまいりました。 「品質にこだわって、良いものを納期通りに作る」 それ⾃体とても⼤事なことですが、私たちはそれを当たり前のことだと考えています。 私たちが当に⼤切にしていること、それはどうしたらお客様が使いやすいものを作ることができるか、 どうしたらお客様に喜んでいただけるかを社員全員で真剣に考え実⾏することです。 ⾔うは易し⾏うは難しではありますが、この理念を常に念頭に置き、 皆様のお役に⽴てるモノづくりをしてまいります。

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  • 日本のディーゼル機関車史 - Wikipedia

    のディーゼル機関車史(にほんのディーゼルきかんしゃし)では、日の鉄道においてディーゼル機関車がどのように推移してきたかについて述べる。 戦前( - 1945年)[編集] ヤマサ醤油第一工場に展示されている「オットー機関車」(1926年製)。初期の来歴は不明ながら1964年まで使用。1067mm軌間だが堀之内軌道機の類似車 DB10形 日におけるディーゼル機関車は、1923年(大正12年)に堀之内軌道が馬車鉄道から動力変更するためにオットー・ドイッツ社製(ドイツ)を使用したのを嚆矢とする。ただし、鉱山鉄道では、夕張炭礦(北海道)がオットー・ドイッツ社 製(ドイツ)の機関車を1914年(大正3年)頃に使用したとされる。 国産化は、1927年(昭和2年)、新潟鐵工所製2気筒35PSのディーゼルエンジンを搭載した8t機関車を雨宮製作所で製造したのが最初とされている。火気厳禁である大日人造

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  • 国鉄DC11形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    DC111 DC11形ディーゼル機関車(DC11がたディーゼルきかんしゃ)は、日国有鉄道の前身である鉄道省がドイツから輸入した電気式ディーゼル機関車である。 概要[編集] ディーゼル機関車の各種方式・機器の比較検討用サンプルとして機械式のDC10形と共に1両ずつドイツから輸入された[1]。 同時発注のDC10形は、完成度が不十分であり満足の行く完成度が得られるまで納期を遅らせて欲しい、というメーカー側の要望で納入が約1年5か月遅延したため、これに先行して1929年(昭和4年)に日に来着した形式は、国鉄初のディーゼル機関車となった。昭和4年(1929年)8月1日付の朝日新聞夕刊にて「とても調子のよい 煙を吐かぬ機関車」のタイトルで「煙を吐かぬ汽車――デイゼル機関車が日で初めて動いた。(中略)試乗の桑原監督官や鷹取工場工場長が客車から顔を出して『とても調子がよい』と喜んだが、エンヂン冷

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  • 国鉄DD10形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    DD101 DD10形ディーゼル機関車(DD10がたディーゼルきかんしゃ)は、日国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が試作した電気式ディーゼル機関車である。 概要[編集] 1930年代、日国内の工業生産力の向上により、ディーゼルエンジンの技術向上が進んだことから、入換あるいは小単位の旅客列車牽引に用いることが可能なディーゼル機関車を試作することになり、製造されたのが形式である。 技術的にはドイツから輸入した国鉄初のディーゼル機関車であるDC10形・DC11形の研究と使用実績、および満州鉄道の新線建設や貨物運搬向けとして芝浦製作所と日立製作所により製造された出力750HP級電気式ディーゼル機関車であるジキイ型[1]を基盤にしている。 構造[編集] 車体[編集] 車体は全溶接構造の箱型車体で、当時の電気機関車と同様に車両端部に設けられたデッキから面中央の貫通扉経由で車内へ出入りする方式で

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  • 国鉄DD12形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    昭和埠頭で運用される名鉄DED8500形8589 DD12形ディーゼル機関車(DD12がたディーゼルきかんしゃ)は、かつて日国有鉄道(国鉄)が保有していたディーゼル機関車である。 太平洋戦争中に製造され[1]、終戦後に日に進駐したアメリカ軍が持ちこんだ機関車で、当初国鉄に貸し出され、後に譲渡された。いわゆるアメロコと呼ばれるものである。電気式の中央運転台形機関車である。 導入の経緯[編集] 1945年(昭和20年)の終戦に至る過程で、日にはアメリカ軍を中心とする連合国軍が進駐することが事前に予定された。進駐軍側は、日の鉄道車両は戦争末期の空襲などの影響で運行不能の壊滅状態になっていると予想し、日国内における軍事輸送を行うためには、自前で機関車や貨車を調達しておいた方が良いと考えた。 そのため進駐軍は、その第一陣としてアメリカの産業用鉄道などで使用されていたゼネラル・エレクトリック

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  • 国鉄DD41形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    ECAFE(国連アジア極東経済委員会)鉄道展覧会にて展示中のDD41形 (DD12 1は製造時に東芝が付番した形式) DD41形ディーゼル機関車(DD41がたディーゼルきかんしゃ)は、かつて日国有鉄道(国鉄)で試用された電気式ディーゼル機関車である。 製造の背景[編集] 戦後、国鉄がディーゼル機関車の開発を模索していたころ、日国内の車両メーカーは国鉄および日国外への売り込みをはかるべく、独自の機関車を設計・試作した。これらの機関車は、合計9形式が国鉄に借り入れられ、当初は40番台、のちには90番台の形式を与えられて試用された。一部の形式は国鉄が正式に購入した。 それらの試作機関車のうち、入換用として製造されたのが、形式である。 構造[編集] 試作期間を短縮するため、エンジンはアメリカのクーパー・ベッセマー社 (Cooper Bessemer) と東芝の技術提携により製造された定格出

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  • 国鉄DD50形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    DD50形ディーゼル機関車(DD50がたディーゼルきかんしゃ)は、かつて日国有鉄道(国鉄)に在籍した電気式ディーゼル機関車である。 製造の背景[編集] 米国や西ドイツにおける非電化幹線のディーゼル化(無煙化)の進行に刺激され、第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)ごろから国鉄でも幹線用ディーゼル機関車の研究が進められた。日では戦前に製造されたディーゼル機関車はいずれも入換用の小形機関車であり、幹線用ディーゼル機関車の製造・使用実績は皆無であった。 その研究の成果として1953年(昭和28年)から製造された、日初の幹線用ディーゼル機関車が形式である。 構造[編集] エンジンはスイスのスルザー社と新三菱重工業の技術提携により製造された、縦形(直立シリンダー)直列8気筒、直噴式で1,050ps(1時間定格)の新三菱スルザー・8LDA25である。このエンジンは1930年代に開発された直

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  • 国鉄DF40形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "国鉄DF40形ディーゼル機関車" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年1月) DF40形は、かつて日国有鉄道(国鉄)で試用された電気式ディーゼル機関車である。 製造の背景[編集] 国鉄がディーゼル機関車の開発を模索していたころ、国内の車両メーカーは国鉄および海外への売り込みをはかるべく、独自の機関車を設計・試作した。これらの機関車は、合計9形式が国鉄に借り入れられ、40番台、のちに90番台の形式を与えられて試用された。一部の形式は国鉄が正式に購入した。 それらの試作機関車のうち、線用として製造されたのが、形式であ

  • 国鉄DF41形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    DF41形は、かつて日国有鉄道(国鉄)が試用した電気式ディーゼル機関車である。 製造の背景[編集] 国鉄がディーゼル機関車の開発を模索していたころ、国内の車両メーカーは国鉄および海外への売り込みをはかるべく、独自の機関車を設計・試作した。これらの機関車は、合計9形式が国鉄に借り入れられ、40番台、のちに90番台の形式を与えられて試用され、一部の形式は国鉄が正式に購入した。それらの試作機関車のうち、線用として1958年(昭和33年)に汽車製造が製造したのが、形式である。 構造[編集] 製造は、車体、台車、その他の機械部品は汽車製造(製造番号2785)、機関は三井造船、主発電機、主電動機などの電装品は東洋電機と、それぞれが分担しており、製造銘版も三社の連名である[1]。 機関は三井造船がデンマークのバーマイスタ社(Burmeister & Wain Ltd.、現在はMAN SEグループ。

  • 国鉄DF50形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    DF50形ディーゼル機関車(DF50がたディーゼルきかんしゃ)は、日国有鉄道(国鉄)のディーゼル機関車の一形式である。 概要[編集] 非電化亜幹線の無煙化のため、1957年(昭和32年)に先行試作車が製造され、以後1963年(昭和38年)まで増備された。 線での客貨運用が可能な最初のディーゼル機関車で、北海道を除く[注 1]日各地の非電化亜幹線と一部非電化幹線で特急列車から貨物列車まで幅広く運用された。特にトンネルの多い路線では、蒸気機関車の煤煙から解放される無煙化の効果が大きかった。なお、旧線時代の奥羽線の矢立峠越えの区間(秋田・青森県境)などの急勾配区間では、補機として使用されたケースも多かった。 0番台が新三菱重工業・汽車製造・日車輌製造で65両、500番台が川崎車輌・東京芝浦電気・日立製作所で73両、計138両が製造された。500番台の方が僅かながら定格速度が速かった為、

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  • 国鉄DF90形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    DF90形は、かつて日国有鉄道(国鉄)で試用された電気式ディーゼル機関車である。 概要[編集] 国鉄がディーゼル機関車の開発を模索していたころ、国内の車両メーカーは国鉄および海外への売り込みを図るべく、独自の機関車を設計・試作した。これらの機関車は、合計9形式が国鉄に借り入れられ、40番台、のちに90番台の形式を与えられて試用され、一部の形式は国鉄が正式に購入した。 それらの試作機関車のうち、日立製作所が1956年(昭和31年)に線の旅客・貨物列車兼用として製造したのが、形式[注 1]である。翌1957年(昭和32年)6月にDF90 1として国鉄が借入れ、常磐線の旅客列車に使用された。1961年(昭和36年)には国鉄が購入している。 構造[編集] エンジンは西ドイツ(当時)のMAN社製[注 2][1] V8V22/30形ディーゼルエンジン(水冷V形16気筒 1,680 PS/900

  • 国鉄DF91形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    DF91形は、かつて日国有鉄道(国鉄)が試用した電気式ディーゼル機関車である。形式は、同一形式・同一番号で2種類各1両が存在した。国鉄内部の正式な呼称ではないが、ここでは便宜的に「初代」「二代目」と区別し、稿では、「初代」の車両について解説する。 製造の背景[編集] 国鉄がディーゼル機関車の開発を模索していたころ、国内の車両メーカーは国鉄および海外への売り込みをはかるべく、独自の機関車を設計・試作した。これらの機関車は、合計9形式が国鉄に借り入れられ、40番台・90番台の形式を与えられて試用され、一部の形式は国鉄が正式に購入した。 機はその中にあって、国内メーカー各社が技術アピールと共に国鉄への導入をも目論んでいた他の試作ディーゼル機関車とは異なり、元々輸出用として製作されたものの1両を、輸出に先立って国鉄線上を借りる形でトライアル走行したものである(線路を貸す国鉄にも、新しいディ

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  • 国鉄DD91形ディーゼル機関車 - Wikipedia

    DD91形ディーゼル機関車(DD91がたディーゼルきかんしゃ)は、かつて日国有鉄道(国鉄)が試用した液体式ディーゼル機関車である。 製造の背景[編集] 国鉄がディーゼル機関車の開発を模索していたころ、日国内の車両メーカーは国鉄および日国外への売り込みをはかるべく、独自の機関車を設計・試作した。これらの機関車は、合計9形式が国鉄に借り入れられ、40番台、のちに90番台の形式を与えられて試用された。一部の形式は国鉄が正式に購入した。それらの試作機関車のうち、線用として製造されたのが、形式である。 構造[編集] エンジンは西ドイツ(当時)から輸入されたマイバッハ (Maybach) 社製のMD870形(DOHC 6バルブ/ヘッド V型16気筒 1,820馬力/1,500rpm)である。このエンジンは当時のスペイン国鉄 (RENFE) 向け340形線用液体式ディーゼル機関車[1]に搭載