エジソンの生きた時代は、日本が大変革期を向かえた時代でも ありました。欧米の優れた技術を学び、日本に持ち帰ることを目的 としてエジソンを訪ねた日本人も数人いることが知られています。発明王エジソンと日本の関係について紹介していきます! エジソンは一度も日本を訪れる機会を得られなかったものの、日本の文化や風習に対して深い理解を示していたといわれています。 たとえば、新渡戸稲造の「武士道」などの日本の書籍を愛読し、日本向けの蝋管レコードを開発し、日本人の助手を雇っていたといった事実が残されています。 近年、エジソンに日本人の助手がいたことが明らかになりました。彼の名は岡部芳郎。元々は商船学校に通っていた青年だったのです。芳郎は、1884年に神戸で生まれ、山口県の大島商船学校に入学し航海士として勉強を続けていました。 しかし1904年、遠洋航海中に体調を崩してニューヨークで下船し、そのままアメリカ