柴五郎という名前を聞いたことがありますか? 残念ながら御存知の方は少数派だと思います。それでも、冒頭の写真の風貌とその服装から、おそらく明治期の軍人らしい、ということは何となくわかるのではないでしょうか。 柴五郎は、会津出身の帝国陸軍軍人で、「坂の上の雲」で描かれた秋山好古(あきやま・よしふる)とは陸軍士官学校の同期です。 会津藩士の子であったことから、明治政府の中では決して厚遇される立場ではなかった筈ですが、それでも陸軍大将まで上りつめたのですから、余程の才覚に恵まれていたのでしょう。砲兵将校であると同時に、陸軍きっての中国通として知られ、英語、フランス語、中国語など数カ国語に通じた情報将校としても力量を発揮しました。 その知見ゆえに、事あるごとに中国(清朝)に派遣されてきた柴五郎は、1900(明治33)年3月、北京にある在清国日本公使館付武官(陸軍中佐)として着任しましたが、その直後の