3度の戦力外通告を受け、営業部へ 「異例」のキャリアを選択した理由は:元横浜DeNAの中後悠平さん(1/5 ページ) プロ野球選手の現役期間は短い。しかし、幼少期から野球に心血を注いできたゆえに、球団のコーチや少年野球の指導者以外の選択肢をなかなか持てず、セカンドキャリアに悩む人は多い。 そんな中、元横浜DeNAベイスターズの投手、中後悠平(なかうしろ・ゆうへい)さんは、野球人生で3度目の戦力外通告を受けたタイミングで、同球団の営業部への転身を決意した。選手が引退後、すぐに営業に配属されるのは異例のことだ。 中後さんが引退を決断した理由、セカンドキャリアを歩む中で感じる困難と喜び、現在の仕事にかける思いを聞いた。 ――3度目の戦力外通告を受け、横浜DeNAベイスターズの職員に転身を決めた際の気持ちを教えてください。 通告を受けたその日に、「職員として残らないか」と球団の方から話をいただきま
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