ブックマーク / call-of-history.com (2)

  • 「マーロウ・ウォーロード」と呼ばれるアングロ・サクソン人有力者の墓が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    イングランド南東部バークシャーにあるテムズ川中流域の町マーロウの丘陵地で六世紀頃のアングロ・サクソン人有力者の墓が発見された。調査にあたったレディング大学がプレスリリースで発表し、The Gurdian他各紙で報じられている。 発見された墓には装飾された鞘と鉄製の剣、および青銅製のボウルやガラス製の容器、衣類の金具、槍の穂先など多くの副葬品とともに身長6フィート(約1.8メートル)の男性の遺骨が埋まっていた。Live Scienceによると、当時のイングランドの男性の平均的な身長が5.7フィート(約1.7メートル)であったといい、平均的な身長よりかなり高い。研究者はこの遺骨の人物を発見された地名にちなんで「マーロウ・ウォーロード(Marlow Warlord,注1)」と呼んでいる。 調査にあたったレディング大学のガボール・トーマス博士は「この男は、当時の他の男性に比べて背が高くがっしりして

    「マーロウ・ウォーロード」と呼ばれるアングロ・サクソン人有力者の墓が発見 | Call of History ー歴史の呼び声ー
    mihai0alien
    mihai0alien 2020/11/02
    確かに。万世一系とか言ってる奴に限って、そんな話信じてないからDNA検査に反対しそうやな。今の宮内庁は古墳調査させる気ないし。まあ余談ではある。
  • 「幕末日本と対外戦争の危機―下関戦争の舞台裏」保谷 徹 著

    幕末、諸外国と修好通商条約が結ばれて一気に開国すると、それに反対する人びとによる外国人排斥運動(攘夷)が盛んになった。過激な攘夷運動の盛り上がりは諸外国を警戒させ、やがて米仏艦隊による長州報復攻撃、英国海軍と薩摩との薩英戦争、さらに英国による日侵攻作戦の立案、そして長州征伐と連動しての下関戦争と対外戦争の危機が顕在化していくことになる。書は主に英国側の資料を中心にして当時日が直面していた対外戦争の危機について具体的に描かれた一冊である。 奉勅攘夷と横浜鎖港問題日米修好通商条約とそれに続く安政の五カ国条約によって諸外国に対し神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港と領事裁判権、関税自主権の放棄、片務的最恵国待遇などが約されると、日中に攘夷の嵐が吹き荒れ、外国人に対するテロ行為が頻発。文久二年(1862)、島津久光の行列を遮ったとして英国商人リチャードソンらが殺害されると、英国との間で緊張が高ま

    「幕末日本と対外戦争の危機―下関戦争の舞台裏」保谷 徹 著
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