「災害死史観」と「紛争死史観」という違い 彼ら(ブログ筆者注:欧米をはじめとする外国人の方々を指しています)の死は紛争で殺された死であり、恨む相手がいない死とはかなり違うものである。愛する者は他人に殺されたのであるから、恨みを残して死んでいったに違いない。したがって、残された者は、死んでしまった愛する者のために、殺した相手を恨んで恨んで恨みぬき、そして殺した相手にいつかは復讐するという誓いを立てなければ、この死を受容できるはずがない。彼らの死の受け止め方は、論理的に考えて、そうならざるを得ない。 私たち(ブログ筆者注:もちろん、上記の「彼ら」に対応して、日本人を指しています)の死は、普段は恵みをもたらしてくれる自然の気まぐれで死んでいったのだから、恨む相手がいないし、復讐のしようがない死である。これは、無理やりもたらされた死への怒りをぶつける対象がないという、本当に悲劇的な死の受容である。