母が息を引き取りここ1カ月くらい心も実際もバタバタでした。父親が1番疲弊していたことと思いますが、ぼくの周囲でも御察ししてくれた人が多くとても気持ちが和らぎました。大学に返ってくると日常に引き戻されます。四十九日も現代では形骸化していき、実感というものが薄れていくように感じます。ただ、徐々に、折に触れて、実感する場面があるのだと思います。 「医者になった姿見せたかったな」とか「孫の顔見せたかったな」などと廻り道をしてきた人生に後悔を抱くことが多かったです。母に認められたいというモチベーションが無くなった今、国試の勉強をするときやもう少し勉強しなきゃいけない部分で、エネルギーが出にくくなってしまっています。こうして記事を書いているのも何か一区切りをつけるためなのかもしれません。 心の声をポジティブなものに反転させた結果、現実とのギャップにかえって疲れてしまうということもあるかもしれませんね。