ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (4)

  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

    なぜ自分が自分の形を留めていられるかというと、自分を知る誰かがいるから。 誰も自分を知らない場所へ旅するのもいい。そもそも誰一人いない場所を旅するのもいい。だが、いつかは放浪をやめてこの世界のどこかに落ち着かなければならない。さもないと人という存在と疎遠になり最後には自分自身にとってさえ他人になってしまう。 誰かを撮った写真は、近しい人間の心のなかでしか価値を持たないのと同じように、人の心も別の人間の心の中でしか価値を持たず、その人の思い出は、思い出したときにのみ存在するだけであって、思い出す人がいなくなれば、消え去るほかない。 人生は思い出だ、そして思い出が消えれば無になる。だから人は思い出を物語ろうとする―――コーマック・マッカーシーの『越境』を読んでいる間、そんな声が通底音のようにずっと響いていた。 マッカーシーの代表作ともいえる国境三部作(ボーダー・トリロジー)の第二作がこれだ。第

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
  • 「神話の力」はスゴ本

    世界と向き合い、世界を理解するための方法、それが神話だ。 現実が辛いとき、現実と向き合っている部分をモデル化し、そいつと付き合う。デフォルメしたり理由付けすることで、自分に受け入れられるようにする。例えば、愛する人の死を「天に召された」とか「草葉の陰」と呼ぶのは典型かと。そのモデルのテンプレートが神話だ。いわゆるギリシア神話や人月の神話だけが「神話」ではなく、現象を受け入れるために物語化されたものすべてが、神話になる。 書は神話の大家、ジョーゼフ・キャンベルの対談をまとめたもの。キャンベルは、現代の小説家やシナリオライターにとってバイブルとなっている。例えばジョージ・ルーカス。スターウォーズの物語や世界設定のネタは、古今東西の神話から想を得ているが、その元ネタがキャンベルなのだ。書では、「英雄の冒険」や「愛と結婚」といった観点で古今東西の神話を再考し、神話がどのように人生に、社会に

    「神話の力」はスゴ本
  • 「転校生とブラックジャック」はスゴ本

    心脳問題を対話により深堀りした名著。二読したけど三読する。 若いとき、一度はかぶれる独在論。つまり、この宇宙にひとりだけ「私」がいるということの意味を追求する。あれだ、2chtwitterで見かける「おまえ以外bot」を世界レベルまで拡張したやつ。 自分自身を指差して、私だということができる。でもそんな指差しなどせずに、世界中でただ一人、ただそこにいる<私>は、他の誰でもないし誰でもありえない。誰かが「私」といくら言おうとも、ここに、例外的な<私>が存在する―――この<私>が「私」であることを論理的に証明しようと問いつづける。 たとえば、「心と体が入れ替わってしまった二人を、天才外科医ブラック・ジャックが元に戻したらどうなるか(転校生とブラックジャック)」とか、「自分自身の記憶と身体を丸ごとコピーして火星へ転送したら<私>はどうなる(火星に行った私は私か)」といった、SFチックな思考実験

    「転校生とブラックジャック」はスゴ本
  • 中年必読、若者無用「可愛い女・犬を連れた奥さん」

    チェーホフに言わせると、恋愛とは単純で残酷なものになる。 恋とは、人生における一時的な気の迷い。ちょっとした、人によると熱烈な病のようなもので、深刻に受け取ったり、そいつで一大決心してしまうようなものではないのだと。よく「ハシカのようなもの」と片付けられる、まさにそんなちょっとした流行りものにすぎない。 その気の迷いから踏み出した、あてどもない楽観主義と、踏み出さずに時の流れに放置した恋の残骸を、非情なまでに描写する。実らなかった恋、過ぎ去ってしまった思いが、もう思い出とすら名づけられないほど永く置き去りにされたとき、時の審判は、互いの貌や肢体や態度に残酷な判決を下す。恋愛とは、若いうちにとっては幻想であり、老いてからは幻滅にすぎないのだ。 書でつむがれる三編の物語において、それぞれ三つの人生が紹介されている。それぞれの恋と「その結果」は、一様にその儚さを指す。人の夢と書いて儚いと読むの

    中年必読、若者無用「可愛い女・犬を連れた奥さん」
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