「孤独」とは、双方向の断絶であり、透明人間化は、 こちらの情報は伝わらなくても、相手の情報は変わらず 享受できる訳だから、孤独ではない。 コミュニケーション=双方向の交流というのは錯覚であり、 一方的でも生きる目的である精神的充足感に不自由は なく(他人による評価によらねば自我が不安定になる、 自我の目覚めの不完全な人物は別)、「双方向のコミュ ニケーション」の形をとっていても、相互理解ではなく 一方的な主張のすれ違いに過ぎない場合が多い。 周りから言葉をかけられなくなったから「話し相手は自分 だけ」という事はない。 自然(言葉以外の人為も含む)の中においてこそ、むしろ 社会や他人の低次元&短絡的な理解に惑わされず、 自己の認識において階層現象表面的に派生する有限性 =自己の必要としての宇宙は感じられる。 フランスのエコールの入試に、「そのものの名前を知って いることは、そのものを知ってい