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ブックマーク / suikyojin.hatenablog.com (2)

  • トンデモという決め付け(2) - 酔狂人の異説(新館)

    「トンデモという決め付け」に対してコメントをもらった。また、“理科教育と非実在論・相対主義についての「続き」”というエントリも書かれていた。特に気になる点が2点ほどあった。 原子や分子が実在すると教えることの危険性 たとえば、原子や分子を実在としない立場から、目に見えるすべてのものが実在ではないとか、自然界そのものが実在ではないというような議論に至るのは、非実在論の枠組みでごく簡単なことです。というか、原子分子が非実在で、「目に見える」物質が実在であるというふうに線引きすることは意外に難しいのです。にもかかわらず、このの記述には、自然界は確固としてあるけれど、原子や分子など目に見えない者は非実在、というような素朴なレベルでの非実在論が表明されているように思えます。 つまり半端なのです。 半端な面があることは否定しない。だが、原子や分子が実在すると天下り式に教えることは、原子や分子が理論的

    トンデモという決め付け(2) - 酔狂人の異説(新館)
    mind
    mind 2006/05/21
    仮説の構築、実験、失敗、仮説の放棄といった一連のプロセスを学ぶ中で、科学者が共同体ごと「穴ぼこ」に落ち込でミスリーディングな方向に進んでしまうことがあると体験で知る …非実在論の枠組みでなくても
  • 実在論とは - 酔狂人の異説(新館)

    「私が自然法則の実在性を認めているとかいう誤解」をされたところを見ると、どうも実在論に関する認識がい違っているようだ。以下に私が理解している「実在論」について述べてみよう。 認識とは独立して存在すると考えるのが実在論 ものごとが認識とは独立して存在すると考えるのが実在論であり、認識や存在に関して深く考えたことがない人は、ほとんどが実在論で考える。だが、認識や存在に関して深く考えると実在論の根拠はきわめて薄弱なことがわかる。 人間の認識とはテレビの画面を通してものごとを見るようなもの 人間の認識とはテレビの画面を通してものごとを見るようなもので、直接に対象をありのまま認識することはできない。あくまで目や耳といった感覚器官を通してのものであり、紫外線や赤外線を見ることはできないし、超音波や超低周波音を聞くこともできない。機械の助けを借りても、その機械自体の限界が存在するから、ありのまま認識す

    実在論とは - 酔狂人の異説(新館)
    mind
    mind 2006/05/21
    「そこにイヌがいる」という存在命題の真偽は、「そこにいるものはイヌである」という認識命題の真偽に依存する。その認識命題の真偽は、「イヌとは何か」という理論に依存する。 ――不必要に複雑化してる印象…
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