ブックマーク / vergil.hateblo.jp (2)

  • 憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎の発案という結論でほぼ決まりだろう - 読む・考える・書く

    報道ステーションが広げた波紋 テレビ朝日「報道ステーション」が2回にわたって取り上げたことで、憲法9条の発案者は当時の首相幣原喜重郎であるという説が注目を集めている。 「報道ステーション」はまず今年2月26日の放送で、1957年に岸信介首相(当時)が作った憲法調査会の録音データ(ジャーナリスト鈴木昭典氏が発見したもの)の中に、幣原発案説を裏付ける証言があることを報じた。 改憲派の狙いは、戦争放棄を定めた憲法9条だった。日は戦力は持たないとしたものの、朝鮮戦争を機に、アメリカの要望に応える形で警察予備隊を創設。そして1954年、自衛隊が誕生した。時は米ソ冷戦の真っ只中。改憲派は、「非武装中立」では現実に対処できないと主張したのだった。 (略) この9条の議論でも、押し付け論が問題となった。戦争放棄の条文は誰の提案で生まれたのか。GHQのマッカーサー最高司令官だったのか、それとも当時の幣原総

    憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎の発案という結論でほぼ決まりだろう - 読む・考える・書く
    mine3858
    mine3858 2016/07/20
    核の登場により、「第二次大戦が人類が全滅を避けて戦うことができた最後の機会」であったという認識、「軍縮交渉とは形を変えた戦争」にすぎないという認識から生まれた9条の意味を深く考えてみる必要がありそう。
  • 法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く

    前回記事で、教育勅語が説教する「徳目」(ただし最後の1個は除く)について、「時代背景を考えればまあ常識的な内容で、当時の感覚では当たり前の道徳」だと書いた。 これは、当時の人々はそれらを「当たり前の道徳」と感じたであろう、ということであって、その内容が普遍的に通用するという意味ではない。また、人々が自発的に何らかの「徳目」を尊重することと、国家に命令されてそれを守らされることとは、やっていることは同じように見えても、意味はまったく違う。 それが分からない、法と道徳の区別がつかない人々がこの国には多すぎる。これは、この社会の未熟さの表われの一つであり、またこの国を蝕む宿痾の一つとも言えるだろう。以下、渡辺洋三『法とは何か』(岩波新書 1979年)から引用する。 わが国では、法と道徳との分離が徹底せず、しばしば、法的正義と道徳的正義とが同一の「正義」の言葉で呼ばれ、混同して使われてきた。このた

    法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く
    mine3858
    mine3858 2014/05/12
    苛めが何故いけないのか、差別は何故許されないのかなど、様々な倫理は、個人の人権の尊重という憲法の基本理念から導き出せると思う。憲法理念を教えることをせず、何故教育勅語などを持ち出すのか理解に苦しむ。
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