天気が優れて良いにもかかわらず、バスティアン・ルパージュはボアへは行かないでここへ来る。彼はほとんどもう歩くことも出来ない。彼の弟は彼を両腕の下から支えて、ほとんど担ぐようにして彼を連れてくる。 そうして、やっと安楽椅子にかけると、その気の毒な子供は疲れ切ってしまう。私たちの惨めさよ! それに、大勢の門番どもはなんと健康に暮らしていることよ! エミルは立派な弟である。ジュールを背負って彼らの4階まで登ったり降りたりするのは彼である。私はどうかと言うに、私もそうした献身をヂナから受けている。──この2日間私の床は客間に移された。でも部屋が非常に広くて、衝立や、大椅子や、ピアノで仕切られてあるから、外からは見えない。私には階段を登るのが困難である。 * 〔日記はここで切れている。──マリ・バシュキルツェフはそれから11日後の、1884年10月31日に死んだ。──そうしてジュール・バスティアン・
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