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ブックマーク / www.ele-king.net (170)

  • TodaysArt | ele-king

    minesweeper96
    minesweeper96 2014/11/12
    うおおおおおTimelineのライブが無料おおおおおお
  • Ecovillage | ele-king

  • interview with Arca | ele-king

    僕がそこに住んでいた時期は、マジでクソみたいな出来事ばっかり起きていた。国の名前もベネズエラ共和国からベネズエラ・ボリバリアーナ共和国に変わって、通貨の名前も少し変更された。友だちはボディガードやドライバー付きで防弾仕様の車に乗っていたね。一軒家は簡単に侵入されるから、みんな綺麗なアパートへ越していった。玄関にセキュリティがいるからね。 19歳のとき、このベネズエラ生まれのミュージシャン、アレシャンドロ・ゲルシはアフリカ北西岸のはずれに位置する古いスペイン人入植地、カナリア諸島に住む、退職した祖母の家に遊びに行った。そのゲストルームにひと晩寝そべりながら、彼は階上の寝室で誰かと口論する祖母の声に驚かされた。翌日、この亜熱帯の島周辺をドライヴしながら、ゲルシが70歳の未亡人である祖母に苦悩の原因は何だったのかと直接尋ねたところ、昨夜死んだ夫と言い争いをしていたの、と彼女は答えた。「そういうこ

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  • Mohammad | ele-king

    ある種の「新しい音楽」を聴いていると、リアルな世界崩壊の予感・予兆の聴きとってしまうとの同じくらいに、新時代の「神話」が新しいフィクションとして生成されていくようにも感じられてしまう。2013年にドイツの実験音楽レーベル〈パン〉からリリースされた『ソム・サクリフィス(Som Sakrifis)』が話題を呼んだギリシャ/アテネを拠点とするユニット、モハンマドも私たちをリアル/フィクションの境界線上に立たせてくれる存在である。 ムハンマドは、ニコス・ヴェリオティスのチェロ(彼はデヴィッド・グラッブスと『ザ・ハームレス・ダスト』というデュオ・アルバムを2005年にリリースしている)、コティ・K.のコントラバス(彼はアテネの実験音楽の中心的人物であり重要エンジニアでもある)、イリオスのオシレーター(サウンド・アーティストとして多くの作品を制作、彼もまた〈パン〉などからアルバムをリリースしている)と

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  • Syro 2014 西島大介 | ele-king

    西島大介 1974年東京都生まれ、広島県在住。2004年に『凹村戦争』でデビュー。代表作に『世界の終わりの魔法使い』、『ディエンビエンフー』などがある。2012年に刊行した『すべてがちょっとずつ優しい世界』で第三回広島大賞を受賞、第17回文化庁メディア芸術祭推薦作に選出。装幀画を多く手掛け、「DJ まほうつかい」名義で音楽活動も行う。映画『世界の終わりのいずこねこ』脚&出演など、活動は多岐に渡る。初の作品集『くらやみ村のこどもたち』を刊行。ワタリウム美術館地下オンサンデーズで「くらやみ村のこどもたち」展開催中。

    Syro 2014 西島大介 | ele-king
  • Arca | ele-king

    minesweeper96
    minesweeper96 2014/10/01
    ふええ
  • Aphex Twin | ele-king

    彼の前に道は無し、とは言わないが、彼のうしろに道ができたのは事実だろう。エイフェックス・ツインとは、ポップにおける重要な分岐点である。クラフトワークやNYのガラージ・ハウスは理解できたとしても、92年のコースティック・ウィンドウの諸作や160bpmのハードコア・アシッドの「Digeridoo」、青いレーベル面にTHE APHEX TWINというスタンプが押されただけの12インチに関してはさっぱりだった、という人は少なくなかった。いや、その前にそんなものチェックもしてないか。ディスコの文脈では到底聴けたものではなかったろうし、一種の権威たちから評価されなかったものの代表格が、シカゴのアシッド・ハウス、デトロイトのUR、UKのジャングル(あるいはガバ)、そしてエイフェックス・ツインなのである。 ことAFXに関しては、公に聴かせる音質としては掟破りなまでに歪んだTR606とTB303、それまでの

    Aphex Twin | ele-king
  • interview with TOWA TEI | ele-king

    テイ・トウワがニューヨークに渡った時代は、クラブ・カルチャーにとって、細分化をまだ知らなかったという意味では幸福な時代だった。ヒップホップはハウスと手を組んでいたし、どちらか片方だけを追求するオーディエンスもまだいなかった。UKジャングルなんていうのも、実を言えばヒップホップとハウスを両方聴いていた耳が作り出したもので、ヒップホップ(ブレイクビート)を45回転のプラス8でかけたら面白かったというわけだ。 なんにせよこの原稿で重要なのは、テイ・トウワとは、そんな無邪気な時代の空気を思い切り吸って吐いていたひとりである、ということだ。 1987年、ニューヨークに渡ってDJ活動をはじめると、彼はスーパー・ポップ・ハウス・グループのディー・ライトに参加している。1990年の「グルーヴ・イン・ザ・ハート」は、ナイトクラブでも街中でも、そしてお茶のでも流れた大ヒット曲だが(全米4位/全英2位)、このブ

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  • interview with Simian Mobile Disco | ele-king

    シミアン・モバイル・ディスコ(以下SMD)は、2年ぶり4作目となるニュー・アルバム『ウァール』において、それぞれ一台ずつのモジュラー・シンセとシーケンサー、そしてミキサーだけを用いるという制約を自らに課した。その結果、レコーディングする場所が自ずと開けていったという。スタジオから屋外、それも砂漠のど真ん中だってOK! まさしくバンド名そのもの「モバイル・ディスコ」を実現させたのだ。 SMDの名前を最初に聞いたのは「ニュー・レイヴ」が流行していた2007年頃だという方も多いかもしれない。熱しやすく移り気なUKの音楽シーンとジャーナリズムのもとで、括られ、もてはやされることによって消費されていくバンドもいれば、それを動力に変えて成長していくバンドもいる。クラクソンズ、CSS、ニュー・ヤング・ポニー・クラブなどと世に出る時期を同じくしたSMDもまた、「ニュー・レイヴ組」の中心アーティストとしても

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  • Syro | ele-king

    ひとつには、UKのテクノが面白くなっているという背景もあるのだろう。テセラ、アコード、ラッカー、アクトレス、アントールド、スペシャル・リクエスト、アンディ・ストット、ダムデイク・ステア……等々、そしてここにベテラン勢も加わると。 もちろん、彼は変わってはいない。アルバム・タイトルの『Syro(サイロ)』、いつものロゴマーク、エイフェックス・ツインの音楽に意味はない。曲名から極力物語性をはぎ取ってきたのも、彼の特徴である。“ Analog Bubblebath”、“Xtal”、“Tha”、“Quoth”、“Quino - Phec”……『アンビエント・ワークスvol.2』では、唯一の既発曲である“Blue Calx”以外は、綺麗なまでに曲名がない。 ご存じのように、公表されているアートワークには、曲名と制作費用の内訳、そして、リチャード・D・ジェイムスのバイオが掲載されているが、よく読めばわ

    Syro | ele-king
  • Aphex Twin | ele-king

    勘のいい人は、もう気がついていたでしょう。リチャード・D・ジェイムス、エイフェックス・ツイン名義での13年ぶりのオリジナル・アルバム、『SYRO』が9月24日にリリースされます。 2001年の『Drukqs』以来の(エイフェックス・ツイン名義での)アルバムですから、それはもう、ワクワクしますよね! 90年代リアル世代にとっては、テクノと言ったとき、クラフトワークより身近な存在でしょう。非リアル世代にとっても、初のリアルタイム体験に胸躍らせることでしょう。非ギークからも、ギークからも愛された、ベッドルーム・テクノ(非チルウェイヴ/非ヴェイパーウェイヴ)のヒーローの帰還。これを良いことに、すでにネット上では、偽AFXが「コレが新作だ」と自分の音源を発表しているようです(笑)。 しかし……〈ワープ〉というレーベルは、10月8日(先に1日と表記されてましたが間違いです。申し訳ございません)にフライ

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  • interview with Plastikman | ele-king

    プラスティックマンが11年ぶりに新作を出すのは、何かそうさせる機運が、彼を後押しする気配がこの時代に潜んでいるからだろう。それは人の知るところではないかもしれない。が、カイル・ホールが俄然大きく見えることとも、ピンチがテクノを手がけることとも、V/Vmが『レイヴの死』などという、20年前も聴いた言葉を繰り返し新作の題名に使うこととも無関係ではないのだろう。 僕はプラスティックマンが1993年当時、いかに革新的で、いかに衝撃的で、しかも、それがいかにバカ受けたしたのかを伝えなければならない。が、ラマダンマンを聴いている世代に“スパスティック”を聴かせても、普通に良い曲/使えるトラックぐらいにしか思わないようだ……(そうなのか? 高橋君?)。 たしかに最初、ミニマル・テクノで重要だったのは、ジェフ・ミルズ、ベーシック・チャンネル、プラスティックマンの3人だったが、我々はこの20年ものあいだ、

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    minesweeper96
    minesweeper96 2014/07/24
    「実は10月にRedbull Music Academyで来日予定なんだ。京都や東京でもライヴができたらいいなと思ってる」!!!!!!
  • interview with Kyle Hall | ele-king

    最初のEPが出た2007年から、あるいはそれ以前から、大きな注目を集めていたカイル・ホールの初来日がやっと実現する。16歳でオマー・Sのレーベル〈FXHE〉から(14歳のときに作った曲で)登場し、翌年には自身のレーベル〈Wild Oats〉を設立。昨年には満を持してファースト・アルバム『The Boat Party』をリリースして高い評価を得た。そのサウンドには、デトロイトという特殊な音楽文化を持つ街で育まれたタフさと、若さと、希望が詰まっている。 現在22歳の彼は、地元であるデトロイト市内を拠点に、世界を飛び回る人気DJとして、レーベル・オーナーとして、そしてプロデューサーとして、誰もが夢見るような生活を送っている……かのように見えるが、実はそれ故のストレスや悩みを抱えているようだ。 今回、「せっかくの初来日だから」とインタヴューを申し込んだところ、実はいちど断られた。ここ最近はほとんど

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    minesweeper96
    minesweeper96 2014/07/07
    素晴らしいインタビューだった
  • interview with Martyn | ele-king

    そもそも2009年にマーティンが脚光を浴びた理由は、ダブステップにインスパイアされたリリースにおいて、わりと直球にデトロイト・テクノからの影響が反映されていたからだった。当時としてはそれがシーンにとってはまだ珍しく、斬新だったわけだが、20年前のレコードが輝いているこの1~2年に関して言えば、時代が要請するひとつのスタイルにまでなっている。まあ、いっときのスタンダードである。 オランダのアイントホーフェンという街には、90年代に〈Eevo Lute Muzique〉という素晴らしいレーベルがあった。オランダのテクノといえばガバとトランスといった時代に、このレーベルはデトロイトのエモーショナルな旋律とテクノ・ファンクを取り入れることで、大きくて、派手で、ドラッギーで、マッチョで、アグレッシヴなシーンとは別の、小さいがセクシーで親密な道を切り開いた。その同じ街で、90年代半ばのテクノとドラムン

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  • 新しい夜へ | ele-king

  • interview with Archie Pelago | ele-king

    要はタイミングである。だってそうだろう、生ジャズがハウスと一緒になった、珍しいことではない。新しいことでもない。が、アーチー・ペラーゴのデビュー12インチは、都内の輸入盤店ではずいぶんと話題になった。何の前情報もなしに売り切れて、再入荷しては売り切れ、そしてさらにまた売り切れた。 僕が聴いたのは2013年初頭だったが、リリースは前年末。年が明けて、お店のスタッフから「え? まだ聴いてないの?」と煽られたのである。そのとき騒いでいたのは、ディスクロージャーの日でのヒットを準備していたような、若い世代だった(……マサやんではない)。 いまや人気レーベルのひとつになった、お月様マークの〈Mister Saturday Night〉が最初にリリースしたのがアンソニー・ネイプルスで、続いてのリリースがアーチー・ペラーゴだった。東欧やデトロイト、そしてUKへと、ポストダブステップからハウスの時代の到

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    minesweeper96
    minesweeper96 2014/05/20
    これめっちゃかっこいい
  • interview with Plaid | ele-king

    コンセプトしてのチルウェイヴってやつには3つの切り口がある。ひとつ、ネット時代のコミュニティが生んだジャンルであると。もうひとつ、ベッドルーム・ミュージック。で、もうひとつはドリーミーであるってこと。この3つのポイントについて時間を遡ると、1992年の〈ワープ〉に行き着くわけだ。よって橋元優歩さんはオープンマインドになって、この時代のテクノを復習すべきってことですね。 『アーティフィシャル・インテリジェンス』のジャケに、CGによって描かれているのは踊っている人の群れではない。部屋に佇む「ひとり」だ。ネットが普及するずっと前の話だが、ネット上の議論の模様をそのままジャケに掲載したのも『アーティフィシャル・インテリジェンス』の「2」だった。 何故こんな懐かしい話をしているのかって? 橋元さんはそこまで強情なのかって? いやいや、そういうわけでは……ほら、聞こえるでしょう。パテン、リー・バノン、

    interview with Plaid | ele-king
  • Oliver Sperl | ele-king

    なにかにつけてベルグハイン最高と言われると、どうにもケチを付けたくなるものだが、そんな皮肉屋も、しばらくベルリンに住んでいたデザイナーの真壁昂士(日でもっともぶっ飛んだ雑誌『Erect Magazine』を手がけるデザイナー)の話は耳を傾けるに値する。ベルリンに滞在した数年間、ベルグハインに通い続けたこの男が言うには、「ベルグハインは音の良さばかりが日で言われているが、実はアートもすごい」とのことで、そのアート(主にフライヤー)を手がけているのが、Oliver Sperlである。 エッシャーとバンクシーとジェイミー・リードをマルキ・ド・サドがミックスしたような混沌とした世界は、たまらく魅力的である。この機会にベルリンのクラブ・カルチャーに深く関与するアートに触れてみよう。 Oliver Sperl 個展 「raw material」 2014/4/26(土)- 5/2(金)
13:00

    Oliver Sperl | ele-king
  • 「ハウスは、ディスコの復讐なんだよ」 | ele-king

    Home > Columns > 「ハウスは、ディスコの復讐なんだよ」- ──フランキー・ナックルズの功績、そしてハウス・ミュージックは文化をいかに変えたか フランキー・ナックルズが亡くなったというニュースが私たちのもとに飛び込んで、あらためて彼の功績を振り返り、彼の曲を聴きなおすたびに、とにかく悲しいという気持ちばかりが溢れて仕方がない。直前のマイアミでDJした際の動画には、クラウドに愛され、名前をコールされる最高の瞬間が残されていた。(Frankie Knuckles || Def Mix @ The Vagabond || Miami || March 2014 )そこでプレイされていたのは「僕が居なくなってから、君は僕の愛を恋しくなるはずだよ」と歌うルー・ロウルズ“You'll Never Find Another Love Like Mine”を原曲にした彼の未発売音源……。彼は

    「ハウスは、ディスコの復讐なんだよ」 | ele-king
    minesweeper96
    minesweeper96 2014/04/05
    あまりにも偉大
  • R.I.P. Frankie Knuckles | ele-king

    ハウス・ミュージックのゴッドファーザー、フランキー・ナックルズが3月31日、かねてから煩っていた糖尿病の合併症ためにシカゴで亡くなった。言うまでもなく、今日僕たちがハウス・ミュージックと呼んでいる音楽を大衆化したのは、1955年1月18日にブロンクスで生まれ、1977年にシカゴの〈ウェアハウス〉というクラブのレジデントになったこのDJである。 僕たちがハウス・ミュージックによってどれだけの幸福を味わったのかということを、どれだけ救われたのかということを、いまさら思い返すまでもない。フランキー・ナックルズの功績はあまりにも大きく、その損失は計り知れないほど大きい。ベッドルーム・ミュージックを最初に大衆化したのはシカゴ・ハウスだった。ロックンロールだってハウスに救われた時代があった。 フランキー・ナックルズは、音楽のみならず、ゲイ・カルチャーにも素晴らしい影響を与えている。彼は、ハウス・ミュー

    R.I.P. Frankie Knuckles | ele-king